島国ニッポン。
四方が海に囲まれた日本列島において半島というものは土地の形状から戦時下においては防衛の最前線となる。そのため現在でも戦争遺跡として残されたままとなっている場所や建物が数多く保存されている。太平洋側は第二次世界大戦下において米軍の侵攻を備える役割を担っていた。
今回は愛知県田原市にある渥美半島に現存する戦争遺跡を辿っていった。渥美半島は愛知県の東側に位置し、北は三河湾、南は太平洋に囲まれた自然豊かな土地だ。
先端には伊良湖岬があり、三重県の伊勢方面や三河湾の離島を結ぶ海路の拠点でもある。
まずは渥美半島の南側にある「椰子の実」の歌碑を目指す。伊良湖岬の手前にある恋路ヶ浜の近くにある。「椰子の実」は直接戦争には関係ないのだけど、終戦のローレライという架空戦記小説でもモチーフになっている叙情歌。
名も知らぬ 遠き島より
流れ寄る 椰子の実一つ
故郷(ふるさと)の岸を 離れて
汝(なれ)はそも 波に幾月(いくつき)
見方によって色々な捉え方ができそうな歌詞。
歌碑を通り抜けて下っていくと広場が現れる。ここが伊良湖防備衛所跡。
太平洋を一望でき、三重県と結ぶ伊良湖水道を機雷で封鎖監視する拠点であった。
伊良湖岬にある灯台。三河湾は風が強くいつ行っても波が荒い。天気が良いと三河湾の島々や三重県がはっきりと見える。
灯台の手前には慰霊碑がある。機動艦隊戦没者慰霊碑で海軍で戦った多くの命を祀っている。「君今ここに甦る」の文字が泣ける。お国のためとはいえ、悔しかったろうな、死にたくなかったろうな・・・
ちゃんねこ!
ギャアー!
次は海岸にある一色機関銃陣地という場所を目指したけれど残念ながら駐車がいっぱいで寄ることができなかった。
三河湾側へ移動する。
農道のような場所に突然現れるコンクリ物体が2軒。この周辺一帯が旧陸軍第一研究所伊良湖試験場の跡地になる。陸軍で使われる銃器や爆薬など兵器を試験していたということ。のっぽな塔が気象塔兼展望塔、右に見えるのが無線電信所。
こういう塔を見るとカンフー映画を思い出してしまうのは私だけだろうか。
同じ造りの階層がひたすら続く。なんでだろうワクワクする。
カオナシがいた。
屋上からの景観はすごぶる良い!
広大な畑が広がっている。今までは何となく通り過ぎていたが戦時中は軍の土地で戦後に開墾している事実を知った。昔の人の苦労を思うといい時代に生まれたのかな。ずーっと不景気だけど。
お隣の無線電信所。 絡まる蔦と無機質なコンクリがいいですなー。
屋上と1階。さっきの塔と同じく農具置き場として使われているようだ。
少し移動すると小中山児童公園がある。ここもかつては試験場であったということで立哨台が残されていた。
中に入ってみる。ここに兵隊さんも数十年前は立っていたのかと思うと感慨深い。私が軍に召集されるなら最前線ではなく、こういう所がいいかな。
帰り道に道の駅田原めっくんはうすへ寄る。
そこでカツ丼チェーン店の「かつさと」が田原市生まれという今後の人生でどう役立てようか分からない知識を得る。カツカレーを食べながら今回の旅路を振り返った所、田原市の公式サイトにて以下の PDFファイルを見つける。
http://www.city.tahara.aichi.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/008/262/sensou.pdf
いやはや・・・
渥美半島に残された戦争に纏わる遺跡は37箇所もあるのか。私もまだまだだなぁ。
感想
たくさんの遺構を見れたと満足したものであったが、最後の最後でほんの一部しか見ていなかった事実に気がついた。もともと無計画で何処かへ行く性分なものだが、下調べは大事だと改めて考えさせられた。
今回巡った中では気象塔と無線電信所が印象的であった。何の変哲もない農道から突然現れる異様な建物の日常に潜む非日常感はワクワクしてしまう。子どもの頃に行ったことのない隣町へ出かけた時の気持ちが蘇るようだった。
渥美半島は日間賀島や篠島など三河湾の離島へ出掛ける際に何度も通っていたのだが、伊良湖岬くらいしかまともに行ったことがない。もう少し深堀りして観光してみたいと思う。
半島は楽しいなァ!