廃屈な日々

廃色の景色を求めて西へ東へ

舞鶴海軍第三火薬廠 ロシア病院 京都府舞鶴市

鎮守府に残る兵器工場跡

大日本帝国海軍の拠点として艦隊を統括した鎮守府のあった舞鶴市。ここには多くの戦争遺構が眠っている。

近くの公園に車を停めて歩くこと約10分。舞鶴の森と書かれた道を進めば目的地が見えてくる。

 

これが舞鶴海軍第三火薬廠(かやくしょう)。

通称ロシア病院と呼ばれる心霊スポットでもあるのだが、病院だったことはない。

 

消火栓に描かれている海軍のマーク。

 

ロシア病院という名前の発祥は不明。

いつ頃から呼ばれたのか定かではない。ロシアという名前は日露戦争が由来という説もあるが、この手の心霊スポットはどこの地域でも自然発生するものだ。きっと無機質なコンクリート造りが病院を連想させたのだろう。

 

自然に飲み込まれていく金属が美しい。

一時期は建物全体が藪の中に埋もれていたそうなのだが、現在は農業の資材置き場にも使われている様子があり一定の管理がされている。

 

無機質なコンクリート造りだが、窓枠は木製。

当時の火薬工場では作業中に誤って爆発した時に備え、あえて木製で造っているということ。

 

海軍の火薬廠は全国に三箇所あり、この場所では終戦時に5千人が働いていたとされている。その多くは学徒動員で周辺の地域から派遣された若者たち。火薬を作るにあたって皮膚が被れるなど厳しい作業を強いられていたみたいだ。ちなみに第一火薬廠は宮城県船岡町、第二火薬廠は神奈川県平塚市にあり、平塚にあった火薬廠の爆薬部を舞鶴に移転する形で作られた施設となっている。

 

もともとは農村で約60世帯が立ち退き火薬廠が建てられたということ。当時の海軍で使用された爆薬の半分が生産されていたとされ、舞鶴がいかに重要な拠点だったことが分かる。

 

戦争が終わり火薬廠の多くは解体され、公園や学校の敷地となったが一部は残り廃墟化してしまった模様。

 

残留物はほとんど残っていない。

 

どちらかと言えば心霊スポットらしい落書きの方が目立つ。

 

しかしながら人為的な破壊は少なく、あくまで自然に朽ちていく様が伺えた。

 

周辺にあった409と描かれた建物。

 

森の奥へ進むと最初の建物と同じ造りのものが並ぶ。

 

若干だがこちらの方が保存状態は良い。

 

この黒い壁は漆喰。火薬に大敵の湿気対策として塗られていたそうだ。

 

数少ない残留物。これは何に使うのだろう?

 

さらに進む。

 

394と描かれた小屋。

 

中には何故か廃バイク。不法投棄ダメ絶対。

 

トンネルを抜けた先が最深部。

 

392と描かれたコンクリートの建物。

 

鉄製の重厚な扉と窓。その先は・・・。

 

なんと、一面水浸し!

 

これはこれで綺麗でございます。

 

この建物をよく見ると迷彩柄が描かれている。この辺りも軍物っぽい。

 

以上が舞鶴海軍第三火薬廠ことロシア病院。

ロシア病院というおどろおどろしい通称だが、実際は戦争遺構のひとつ。自然に朽ちていく様がとても印象的だった。この地域の冬は寒く、厳しい環境下で大変難しいとされる火薬の作業を行っていた学徒のことを思うと色々と込み上げてくるものがある。食料だって満足でなかっただろう。そういう人があって今の生活があることを忘れてはいけない。

 

おまけに山を挟んだ隣にある公園のキャンプ場。

 

造りからしてロシア病院と同じ。

 

A棟とB棟の二軒を確認。

 

設備としても申し分なし。

 

興味のある方は調べてみて下さい!