廃屈な日々

廃色の景色を求めて西へ東へ

木江天満遊郭跡 広島県大崎上島町

風待ちの港の遊郭

参勤交代の諸大名が立ち寄った風待ち、潮待ちの島。

瀬戸内航路の要として造船業や海産物業で栄えた大崎上島。そんな場所の宿命ともいえる遊郭文化も根付いていた場所でもあった。

 

大崎上島へのアクセスは現在も海路のみ。目的の場所は木江港となっており、大崎下島今治市からフェリーで向かう必要がある。木江は遊郭文化の他に船上に女郎を乗せた通称”おちょろ舟”なるものもあったらしいが、こちらは昭和33年の売春防止法で完全に消滅した。

 

遊郭のあった場所は木江港から目と鼻の先。

ここは”木江の古い街並み”として観光案内がされている。実態としては遊郭のあった街並みということなのだが。

 

こちらの細い路地が遊郭のあった通りになる。

 

さっそく2階部分に風情の残る建物が出迎えてくれた。

 

その先にはカフェー調というのかタイル貼りの住宅。

 

空き地となった場所も多そうな印象。

私がこの場所を認識してから約10年。取り壊された物件は数知れずといった所か。

 

こちらの医院もTHE昭和の個人医院といった面構え。

 

このエリアだけ幅員が妙に広い。

 

掲示板に天満の文字。

 

3階建の木造住宅。

 

路地を進む。

手前の空き地に広がる空き地に物悲しさを覚える。

 

一見すると普通の個人宅だが、うっすらと食事処の文字があった。

 

ここから先が往時の姿を色濃く残すエリアとなる。

 

木造の長屋は旅館跡。

 

鯉の泳ぐ三島屋旅館。

 

羽ばたく鳥と留まる鳥が風街ちの港町らしく風流な意匠。

 

横には玉屋旅館跡。歪んだ扉に年月の重みを感じる。

 

手書きの菓子玉屋が気になるところ。

 

玉屋旅館の斜向かいに並ぶカラーコーン。

 

どーんと聳える3階建の妓楼風物件。

玉屋旅館が可愛く見えるほどに崩壊している。

狭い路地で20mmの広角レンズでは仰ぐだけで精一杯。

 

その向かえにはCAFE RUMIの跡地。

これを見にきたと言っても過言ではないほど恋焦がれた物件だ。

 

こちらも3階建物件。

 

入口にはバーの鑑札。

 

昔見た構図がこんな感じだったけど、空き地にも妓楼があってもっと迫力があった気がする。細い路地にずらっと並んだ木造建築群、そこに混じった洋風のRUMIの異様な姿に惹き込まれたのを覚えている。しかも離島というからとても驚いたのを覚えている。

 

それでも来た価値は十二分にあった。

ここは古い街並みでレトロ散歩みたいな軟派な観光地とは一線を画す硬派な場所だ。

 

ほぼ廃墟ともいえるが。

 

右手に見えるのは現役の商店。

 

丸型ポストが似合う街並み。

 

右奥には大型の木造3階建て住宅。旅館か何かだったのかな?

 

主だった遺構はさっきの部分だが、その先にも往時を伺える物件が残っている。

 

電柱チェック。

 

やり手婆の代わりに招き猫。

 

ディスプレイは多種多様。

 

こんなもんですかね。

 

最後にRUMIのある建物の裏手にあった神社に立ち寄る。

 

歪みっぷりが半端ない。

 

横にあった路地。

 

境内の階段から。屋根に穴が開いているではないか・・・。

 

帰りのフェリーの時間になる。

この日は昼過ぎに訪問するつもりだったが遅れ遅れで到着が16時43分。帰りは何と17時25分と短すぎる別れとなった。

 

本当は市街地と5階建の木造物件を見学する予定が泣く泣く諦めることになってしまった・・・。

 

市街地の方もガチレトロ指数高め。

 

昔の電気屋さんでよく見る宇宙服のボーイ。

 

百貨店。百貨店と書いてあるから百貨店。

 

走れば5階建の建物まで行けるかなと思いつつ、フェリーを逃したら次は18時45分。ここから自宅まで車で7時間。今考えると寄れば良かった。

 

訪問は短く、本文は長く・・・。

おそらく木江の遊郭跡は向こう10年と経たずにほとんどが解体されるだろう。狂ったように赤線跡を歩いているがそういう部分に惹かれているからだと思う。

 

フェリーから例の木造5階建物件が見えた。

 

肉眼では豆粒程度だったけれど最後にありがとう。