廃屈な日々

廃色の景色を求めて西へ東へ

湯田中温泉 温泉街 長野県

温泉街そぞろ歩き

長野電鉄の湯田中駅。

電車に乗って気軽に来れる温泉地っていいよね。

 

駅前のアーチにはやっぱり猿。

 

日帰り温泉施設の楓の湯。

こちらは昭和2年に建てられた旧駅舎を改装した温泉施設となっている。

 

施設内の休憩所からホームを眺めることができるらしいが当日は定休日だった。これが平日休みの職業の辛いところ。

 

レトロ可愛い看板の喫茶店。

 

温泉街そぞろ歩きで楽しいのは昭和臭い土産店を発見した時にあると思う。

 

情緒が止まらないぜ。

 

共同浴場もちらほら。

入湯には鍵が必要で基本的には地元住民専用といった形だろう。

 

温泉街の目抜き通り。

楓が描かれた道路が印象的だ。

 

お出迎えは廃業したスナックたち。

流石は歓楽温泉街で名を馳せただけあってどこへ行っても飲んで騒げるようになっている。

 

微かに読み取れるBAR明治の文字。それにしても凄い形。

 

こちらは回転窓が特徴的な物件。

散策中に人の出入りがあったため住居として使われていそうだった。

 

向かいに建つはキューピッド。

ドアを開けた瞬間に二人の天使に射抜かれます♪♪

 

通りの雰囲気は抜群に渋い。渋温泉より渋いよ湯田中温泉。

 

”若さを創る”文字にドキッとしてしまう年頃です・・・。

 

それにしても上階の迫力が凄いな~。

 

日用品店ばかりでなく旅館もちらほら。

 

どう見ても共同浴場な公会堂。

 

通りから逸れた場所に雰囲気のある物件を発見。

 

しあわせ写す写真館。素敵やん。

 

このブログは素人がとらえる不確かな写真でお送りいたします。

 

ここの共同浴場は他と違って扉が開いていた。

 

趣がやばい目抜き通りのラスボス。

 

主張の激しい裏ボスもいた!

 

増改築を繰り返した形跡あり、隠しダンジョンのごとく見た目以上の大きさ。

 

さて、こんなもんですかね。

 

最近はどこにでもある観光地名のプリン屋さん。意外と廃れないですねぇ。

 

射的屋さんに遊技場の鑑札を発見。

お隣の渋温泉には料理店の鑑札がたくさん残っているけれど湯田中温泉では見つける事ができなかった。

 

以上、湯田中温泉の温泉街。

駅前にはたくさんの人がいたけれど温泉街の方は廃れていた印象。寂れた町と一言で片づけてしまうのは勿体ないけれど、昔の面影を残す町の散歩は大変心地のよい体験だった。

湯田中遊郭 旅館街 長野県

遊郭のあった旅館街

 

 

haikutu.hatenablog.com

歓楽街である湯河原通りを抜けて湯田中駅方面にある旅館街を目指す。

この旅館街はどうやら遊郭のあった場所だそうで現在はどんな風になっているのだろうか。

 

看板には猿。

湯田中温泉をもう少し進むと温泉に浸かる猿で有名な地獄谷野猿公苑がある。

 

この道を2kmくらい進むと渋温泉。

渋温泉は昨年訪れているためいつか記事にまとめたい。

 

湯田中駅は坂の上。

 

理容室にしては不思議な形だなと眺めていたら、

 

やっぱり旅館だった。

 

松の飾り窓。

崖に沿って建ってる感じのやつ。

 

上が玄関になっているホテルっていいよね。何かわくわくする。

あんまり泊まった経験はないけどね。

 

街灯にも猿の看板。

レジャー的にもここのハイシーズンは冬なんすかね?

 

雪景色の野猿公苑は1度でいいから行ってみたいものだ。

 

湯田中駅にはちょうど電車が到着していた。

長野電鉄にはスノーモンキーという車両があるらしいけど、こいつは違うみたい。残念。

 

駅の隣には寂れたアーチ。

 

営業していない土産店。

 

落ち葉で表現された髪と服がオシャレですな!

 

湯河原通り方面が見渡せる。

 

何かの店舗跡に丸窓。

 

路地裏の民家にも発見。

 

こちらはちゃんこ屋さん。

 

軍配模様の飾り窓。かっこいい!

 

さて、件の旅館街が見えてきた。

現在は普通の旅館街って感じっすね。全国遊郭案内には貸座敷12軒、娼妓は100人と規模の大きな遊郭だった模様。

 

この清風荘の建物は遊郭時代のものらしい。

 

全国遊郭案内にも名前が載っていた白雲楼。

名前はそのままに現在は旅館として営業されている。

 

旅館街周辺はこんなもんすかね。

駅からちょっぴり離れていて近くには崖があって廓の結界を張るにはちょうど良い場所に思えた。

 

紫陽花の季節も終わり夏の到来を予感させる。

 

観光案内所にあった玉ゴンドラ。懐かしい平成の遺物。

もう少し上にある志賀高原で使われていた個体だろうか?

 

湯田中温泉 湯河原通り 長野県

湯田中温泉の歓楽街

開湯1350年の歴史を持つ湯田中渋温泉郷。

その一角である湯田中温泉は全国遊郭案内にも紹介のある元赤線の温泉郷だ。

 

もうね、看板からして「歓楽街」とド直球。

 

裸で本を読む幼児の銅像付き。

 

有名店を自称するのもいいっすね~。

 

こちらには湯上り美人とリンゴ。

 

長野県はタイ人系の店が多い印象。ここも例外ではなさそうだ。

 

ここで目を引くのがパチンコ店の跡地。

 

保存状態良好。

シャッターに描かれた妖精のような女の子が可愛い。

 

カラフルな文字。

古物商はどの辺だったのかな?

 

飲食店跡。

 

駅までの近道ルート。駅は崖の上。

 

パチンコ屋の駐車場跡。

違法駐車したら鎖で繋がれるぞ!

 

緑に黄色文字の看板が並ぶ。

 

廃業したホテルの目立つ通り。

メインの通りから斜めに形成されている。

 

2階建ての3連長屋。梯子が掛かっているけどリノベっすかね?

 

料理店の鑑札を発見。

温泉街はこういう出会いもいいんすよ。

 

この辺りも多国籍なムードが漂っている。

地方の温泉街なんて彼女らに支えられている側面もあるのでしょうね。

 

思わず見惚れてしまった物件。

 

カラフルなブロックガラスに惹かれる。

 

電球も色付き。それにしても年季の入ったテントだ。

 

今まで廃墟、商店街、赤線辺りをメインに歩いていたが最近は温泉街が最高にちょうどいい。

 

雲月さん裏にはパチンコの看板が残っていた。

 

突き当たりには秘密基地。

 

クレオパトラさん裏。

 

丸窓やんけ!

 

メインの一本道へ戻る。

 

開いたままになっている玄関から覗く階段。

 

いらっしゃっていいのだろうか?

 

こちらも悶絶ものの物件。

 

傾いとるがな。

 

古めの店舗にはこの黄看板が付いている店が何軒かあった。

 

渡れそうで渡れない渡り廊下。

 

真新しい長屋の横丁。

 

なぜそのホーロー看板をチョイスしたのか。

 

古い街を歩くとたまに出会う東芝の宇宙服少年こと光速エスパーくん。

1964年(昭和39年)に東芝の販促用マスコットとして登場。私は勝手にスペースボーイと呼んでいる。

 

徐々にスナックの密集率が下がってきた。

 

昨今はどこに行っても生成AIのポスターばかりだがこういう手作り感もいいものです。

 

この辺りが湯河原通りの端っこか。

 

湯上り美人の地図ではこの脇道にもスナックやパチンコ店があったみたいだが現在はホテルしか残っておらず。

 

最後に性器を見せ合う幼児のイラストを見て締めようかと思う。

 

以上、湯田中温泉の湯河原通り。

歓楽街を自称するだけあって往時の面影を感じさせてくれる場所だった。

 

 

おまけ

湯田中温泉と道の駅を結ぶ穂波大橋。躍動感あふれる銅像がかっこいい。

 

そして橋の上には燦然と輝く彼らの姿が・・・!

 

金沢中央味食街 金沢市

百万石のバラック横丁

新天地商店街の裏側にある金沢中央味食街というバラック横丁。

見た目からしてインパクト特大なのだが、看板を見る限り脅威のテナント出店率100%。

 


見てくださいよ、この凄まじい見た目。

 

ここ金沢の繁華街だからね。

 

戦後当時そのままといった状態か。新天地とは覆っている空気がまるで違う。

 

それでいてうらぶれている雰囲気を感じさせない。この手の物件なんて基本的にはやっているのかどうか分からない場所ばっかっすよ。金沢、おそろしい子・・・!

 

そして建物の低さに驚かされる。成人男性どころか女性でも屈んで入店することになりそうだ。

 

細い路地に狭い店。

公式HPにはどの店もカウンター式で6~8席とあった。

 

昭和41年に開設され、市の条例で屋台が禁止された後、かつての屋台文化や賑わいを惜しむ声からその雰囲気を再現して作られたということだ。

 

つまり当時からあえてこういう形だったと解釈して良いものなのか?

 

新天地より開設が遅いというのは意外だったが納得できた。

 

奥に見えるは片町きららという洗練されたショッピングセンター。

そのお膝元に広がる雑多な世界。そのコントラストというのか落差がたまらなく愛おしい。

 

片側ながら横丁は2列。

こちらはさらに凄まじく細い。

 

以上、金沢中央味食街。

戦後闇市を彷彿とさせる姿に古都の懐深さを感じた。まるで映画のワンシーンですよここは。

金沢新天地商店街 金沢市

金沢のゴールデン街

北陸屈指の都市である金沢市の繫華街片町。

その洗練された街の裏路地には昭和の香りを感じる物件が残っている。

 

その名も新天地商店街。

名前からそそられるものがありますねぇ。

 

公式HPに昭和25年発足とある。

当時は飲食店を中心に65軒の店があったとか。

 

看板には世界的に著名な写真家である森山大道さんの作品がある。

写真の世界観と街並みは見事なマッチング。調べてみると2022年11月から3月までの企画とあった。一部はそのまま残った形となったのか?

 

1店1店の個性がまぶしく光る。

うらぶれていない”新天地”というのは珍しい。

 

そんな活気を示すかのように空きテナントはたったの4軒。

 

これが加賀百万石という偉大なる力の所為か。

 

こちら元青線という話もあって気になっていたのだが、想像していたアングラ感とは程遠い雰囲気だ。

 

公式HPにあるキャッチコピー「明るく楽しく、飲めて歌えて、買い物もできるおしゃれな街」を見事に体現しているように見える。建物自体は当時のままということで所々に昭和的エッセンスが残るが、それよりも若さというのかエネルギッシュな雰囲気を強く感じてしまう。

 

・・・というわけで特筆すべき部分は特になし。

近くに住んでいたら通うのが楽しそうな場所だなぁと。

 

以上、金沢新天地商店街。

色々調べると昔は怪しい雰囲気があって近寄りがたい場所だったそうだが、現在は見ての通り小奇麗な一画となっていた。

主計町料理料亭街 暗がり坂とあかり坂 金沢市

料亭街の裏路地

ひがし茶屋街、にし茶屋街に続く第三の茶屋街。

その名も主計町料理料亭街。この三か所は金沢三大茶屋街と呼ばれていたりする。

 

しゅけいまち?ノンノン、「かずえまち」と読みますぜ。

 

2008年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定。

 

浅野川沿いにずらっと並ぶ趣深い料亭街は圧巻の一言。

 

現役の花街としても知られ、名前の由来はこの地に屋敷を構えた加賀藩士「富田主計」にちなんでいるそうだが、花街の成立は明治時代となっている。

昭和5年発行の「全国遊郭案内」では金澤主計町遊郭として以下の通りに紹介されている。

 

金澤主計町は遊郭ではないが藝妓は娼妓と略同様の事をして居る事は既に書いた。(全国遊郭案内P269)

貸座敷の許可地では無いが、さればとて檢番制度でも無い。金澤百万石と云ふ偉大なる力が、斯うした藝妓とも娼妓とも付かない一種變態的な物を生んだものと思はれる。(全国遊郭案内P271)

 

気になるワードが多数ぶっこまれてますね・・・。

頭がこんがらがってしまうが、つまり主計町料理料亭街は遊郭ではなかったけれど実態としては似たような遊びができたという認識で良いのか?

 

とりあえず加賀百万石ってやつの仕業だ。

 

あと所々で高級な花街だったという記述もあり、現代に続く半端ない風情の根底がそこにある気がする。

 

主計町は1970年に尾張町2丁目に改名されたが1999年に主計町へと戻された。これが全国初となる旧町名復活なんだそうで興味深いエピソードだ。

 

現代の主計町といえば立派な観光地。

人混みでげんなりするひがし茶屋街と比べると観光客の数は少ない。決して少ないわけではないが観光で風情を感じるにはこの位がちょうどいいなぁという印象。

 

規模としては小さいのだけどギュッと凝縮されている感じが良い。

 

人力車なんかもあって歴史と情緒を感じる一画だ。

 

しかし、主計町で本当に楽しいのは裏路地の散策。

 

活気のある川沿いと比べてひっそりとした印象。それでいて溢れ出る風情。

 

風俗営業料亭の鑑札。

 

奥に写るのが観光客でなく芸妓さんだったらと想像が捗る1枚。

 

昼間でも薄暗い雰囲気も良きです。

 

この主計町事務所はかつて検番だったと言われている。

全国遊郭案内では”検番制度はない”と記述があったため発行の昭和5年以降に作られたと思われる。

 

その先にあるのが暗がり坂と呼ばれる坂。

遠い昔、旦那衆が人目を忍ぶように茶屋街へ通っていた道らしい。

 

見下ろした時の風情が半端ないっす。

ちなみに登った先は小高い山となっており、料亭街は川と山に囲まれた形で結界が張られている。

 

撮影スポットとしても人気でこんな構図の夜景写真が定番で目にすることが多い。

 

もうひとつがあかり坂。

暗がり坂と対をなす形っぽいが、命名は2008年と新しい。金沢市に縁のある作家の五木寛之氏が名付け親だ。

 

暗がり坂に比べれば光は届くかなという印象。基本は薄暗い。

 

こちらも見下ろした時の雰囲気が抜群。

川沿いからアクセスするのでなく当時の旦那衆よろしく裏山から足を踏み入れたら異世界感を味わうことができそうだ。

 

当時の屋号が残る物件。どこを切り取っても絵になりますな。

 

以上、主計町料理料亭街。

今度は夜の風景を味わいたいものだ。

石坂遊郭 金沢市の赤線跡

金沢アンダーグラウンド

にし茶屋街の検番から100m弱。

思案橋を思わせる「いしざか2のはし」を渡ると旧石坂遊郭のエリアとなる。

 

以前はうらぶれたスナックがあちらこちらに見られた場所だったが現在では多くが姿を消してしまっている。

 

この空白地帯もGoogleマップを参照するとスナックが建っていた。

 

石坂遊郭は地元では「いっさか」と呼ばれていたとか言われております。

 

なにやら民泊かゲストハウスっぽい気配のする建物が並ぶ。

 

最近改装されたのか真新しい外観がまぶしい。

少しゴテゴテとした印象で外国人観光客にウケが良さそう。

 

豆タイル。この辺りは後付けの気配。

 

ファサードには名残を感じさせる意匠が多数。

 

こちらの緑のタイルは石坂遊郭でも有名で当時物。緩やかなアールと相まって大変美しゅうございます。

 

立体に見えるタイル。

眺めていると視力が良くなりそう。

 

水色のタイルも良き。

 

路地を進むと第三飲食街なる物件。

 

「街」を名乗るには小ぶりな印象。

 

たくさんの看板が残るが無人の気配。

 

飲食店営業の鑑札にはうっすらと昭和50年の5の文字だけが残っていた。

 

住宅街に突然現れる飲食店街。この何とも言い難い違和感が大好きだ。

 

第三飲食店街の前だけ幅員が妙に広いものの石坂遊郭は細い路地がたくさん。

 

そんないっさかの真打も細い路地のひとつに残っている。

 

遊郭跡を修繕して店を構える着物店「凛凛」。

私はどこかで喫茶店になったと聞きかじっていたものでお茶でも飲めるかなと考えていたがメインは着物販売で喫茶は前日までの要予約制。

 

良好な保存状態から大切にされているのが良く分かる。末永くお幸せに。

 

凛凛さんの向かいに建つ物件には小料理店の鑑札が残る。

 

そしてオオトリを飾る物件がこちら。

 

豆タイル、色硝子、西洋風のファサードと赤線物件の要素をこれでもかと詰め込まれている。

 

路地が細いせいで撮影アングルが限られてしまうのが悲しい。

 

素晴らしい意匠を残したこの物件だが、近くのにし茶屋街と違い手付かずの状態で長い年月を過ごしている状態だ。かつては同じ枠組みであったはずなのにどこで明暗を分けたことやら。

 

それは選ばれなかった者の末路か。

自らの現状と重なる部分があるのかもしれないなんて思うけど、私の場合は完全に自己責任なんすよね。ぐすん。

 

さて、残りの石坂遊郭だが、基本的に見た目は普通の住宅街。

しかしながら、扉が斜めになっていたり出入口が複数あったりと観察力を試される場所だった。

 

スナックの看板があちらこちらに点在しているが現役の店は少ない様子。

 

以上、石坂遊郭跡。

観光地化されたにし茶屋街と目と鼻の先にあり、似た出自ながら明暗分かれる場所だった。往時はどんな雰囲気だったんだろうか。