廃屈な日々

廃色の景色を求めて西へ東へ

にし茶屋街 石川県金沢市

金沢三茶屋街

ひがし茶屋街、主計町茶屋街と並ぶ金沢三茶屋街の一角。

現役の花街として現在でも夕暮れ時になると芸妓さんの歩く姿が見られるとか。

 

規模としてはひがし茶屋街と比べてみると小さいものの出格子が美しい2階建ての茶屋建築が軒を並べ、趣のある一角となっている。

 

にし茶屋街は1820年に加賀藩から公許された「西廓」が前身とされる。

この西は金沢城から見て西ということ。金沢には「西廓」の他にも「東廓」「北廓」「主計町」「愛宕」「石坂」の5つの遊郭があったということ。

 

朝一に来たからなのか観光客の気配は微塵も感じない。

というのも近江市場や兼六園といった金沢の定番観光スポットから微妙に離れているからだと推測される。茶屋街の雰囲気なら行きやすく規模の大きいひがし茶屋街で間に合っちゃうといった感じっすかね?

 

その代わり人混みに紛れることなく見学できることは大変良き。

今回の旅程でひがし茶屋街も行こうとしたけど、昼過ぎでは人が多すぎて行くのを辞めたくらいですもん。私みたいに写真を撮りたい人はがあっち行くなら朝しかチャンスはなさそう。

 

こちらの擬洋風な建物は西検番事務所。

大正時代の建物で芸妓さんたちの稽古場として使われていた。

 

以上、にし茶屋街。

コンパクトで人の少ない歩きやすい観光地。穴場といっていいでしょう。

 

そして、この検番を曲がった先にあるのが石坂遊郭。次回へ続きます。

尾山神社横の飲食店街 石川県金沢市

加賀百万石の風に吹かれて

金沢観光のメインストリーム尾山神社。

 

初めて来た。それにしても凄くかっこいい神門だ。

和洋折衷というのか、一度見たら忘れられないデザイン。私の好きな擬洋風建築にも通ずる何かがある。

 

設計は明治初期にオランダ人技師のホルトマンという方が行ったらしい。なるほど納得。

 

ちなみに頂上には前田利家の槍・・・ではなく日本最古の避雷針が立っている。

 

神社境内。

アジア系の観光客より白人系の方々が多い印象。

 

加賀百万石を語る上で外せないのが槍の名手であった前田利家。祀られっぷりも超一流。

 

さて、普通の観光はこのくらいにしておいて本題の神社横の飲食店街へ向かいましょうか。

 

まずはこじんまりした方から攻める。

 

スナック跡が一軒。

 

尾山神社の境内から徒歩0分の立地。

 

こちら気になる物件は特になし。

 

参道前の商店街も味のあるレトロっぷり。

 

本命の通りへ行こうか。

 

赤線的な香りがするバラック群。

 

一番目立つ位置にあるのは”喫茶”店。

 

どこか違和感のある階段。

もしかしてだけど勝手に作っちゃった感じか?

 

この通りで現役の店は3軒のみ。

 

カフエーちっくなモルタルの意匠。

 

例のごとく扉の背が低い。

扉にある扇形の看板にはどんな屋号があったのだろう。

 

 

小料理の若葉。

 

その隣には一品料理(お茶漬け)というストロングスタイルな料理店跡。

 

こちらは中華料理屋跡かな。

 

ひょっこり見える双喜門のロゴが可愛い。

※ラーメンの丼によくあるアレです→囍

 

観光客でいっぱいの神社や表の商店街と違って静まり返っていた。

 

道路沿いだというのに窓がない。詮索するのは野暮ってやつか。

 

洗濯物が干してあるということは住んでいる人はいるという話。

 

中央には所々に空き地があり歯抜けの状態。

 

こちらのブロックは廃墟感が強い。

 

以上、尾山神社横の怪しいバラック街。

 

 

明光商店街 和歌山市

極レトロ商店街

和歌浦を散策していて発見した明光商店街。

 

観光地である紀州東照宮や和歌浦天満宮からほど近い場所で気になるアーチと遭遇。

 

その名も明光商店街。

江戸時代から続く和歌浦のメインストリート。明光通りの街並みとして日本遺産に登録されている。「明光」は聖武天皇がこの地を「明光浦(あかのうら)」と呼んだことに由来するという。

 

なだらかな坂に沿ってまっすぐに伸びる。

 

観光地ではあるが観光客は相手にしてなさそうな雰囲気。

 

踏み込んですぐに分かる”当たり”の気配。

 

日本一かっこいい配達車。

 

店先には新しめの手書き看板が掲げられていた。

 

それでも視線を奪われるのは歴戦の猛者の方。

 

あまり目にかかれないボンカレーのホーロー看板。

レトロを表現するための看板ではなく天然物の看板でございます。

 

こちらの向かい合った店舗なんて二階が虫籠窓っすよ・・・。

 

教科書販売店の鑑札だ。

こちらの本屋さんは建物の風格通り創業140年超の老舗中の老舗。

 

脇道にも店舗が続く。

左手に見えるゴトウ本店はかつて和歌山市内に複数店舗を構えたスーパーマーケットの創業地であるらしい。

 

メインの通りの後半。

こちらはかつて全蓋式のアーケードがあったらしい。

 

残る店舗群は強烈な昭和の香りを放つ。

 

その中でひときわ輝きを放っていたのがこちらの明光マーケット。

 

現役当時は建物内に複数の店舗を構える複合型のマーケットだったということ。

日用品から喫茶店までバラエティに富んだ店だった面影が残る。何かの機会に中を見学させてくれませんかね?

 

普段ならスルーすることの多い全蓋式アーケード以外の商店街でもここまで質が高いと見逃すことができない。和歌浦は観光遊歩道歩いて帰ろうと思っていたけれど居残って大正解だった。

 

とりあえず石畳の終点で折り返す。

 

血の涙を流しながらうんこしていると思ったら錆だった。

 

以上、明光商店街。

和歌山市の商店街といえば和歌山駅周辺と少し離れた七曲市場くらいしかチェックしていなかったけどこんな素晴らしい場所があったなんて・・・。帰ってきて色々と調べたが、まだまだ歩き足りなかったようで見落とし箇所も多々あった模様。いつになるか分からないけれど必ず再訪したい。そう思えるような商店街だった。

 

 

和歌浦で廃墟散歩 和歌山県

廃墟だらけの遊歩道

「わかの浦に 潮満ちくれば 潟をなみ
    芦辺をさして 鶴鳴きわたる」

 

万葉の時代から多くの歌人を魅了してきたとされる和歌山県にある和歌浦。絶景の宝庫として観光誘致をアピールしているのだが、元廃墟マニアの目線で見れば廃墟の宝庫でもあったりする。

 

観光駐車場近くにある新和歌の浦観光遊歩道路を歩きながら廃墟を眺めるのが今回の目的。有名観光地だけあって周辺の雰囲気は抜群に良い。

 

漁師町らしい雑多な感じと観光地としての景観が入り乱れる雰囲気はどこか非日常的。

 

さらなる深みを求めて新和歌の浦観光遊歩道路という長ったらしい名前の遊歩道を進みましょう。

 

さっそく見えてきました。

スモールな灯台跡。街灯よりも少しだけ背が高いのが灯台としての矜持。

 

こんなにポツンと小さくても光を届けていれば立派なもの。現役生活お疲れ様でした。

 

灯台の先にはシーサイドなホテル群。

 

木村屋さんから不穏なオーラをキャッチ。

 

創業100年の歴史を持つ旅館。

インスタグラムは2024年の投稿が最後。公式サイトは404error。Google口コミは10カ月前が最後。閑散期は営業していないだけの可能性もあるんで判定は▲といった所ですかね。

 

椅子とか出しっぱなしで波風に耐えられているのに感心してしまう。

 

こっちは現役のホテル。

 

左に見えるかっこいい岩は蓬莱岩。

 

さすが絶景の宝庫!

 

またもや不穏なオーラ。しかもドでかい。

 

こちらは新和歌浦観光ホテル。

廃墟検索地図によると2010年頃より休業状態にあるということ。

 

橋の途中にも何かあった。

 

全体で10階建て。崖に沿って建てられた全室50部屋を越える超巨大宿泊施設。

 

出ましたヤシの木。

昭和リゾートはとりあえずヤシの木なんすよ。

 

オーシャンビューな露天風呂も完備。

 

横に階段があった。

 

露天風呂がチラ見できた。

 

廃墟関連から足を洗ったつもりだったが、なんやかんやで廃墟の非日常性は圧倒的。私の中ではジャンクフードみたいなもので時々摂取しなければ心の栄養が保たれない。

 

遊歩道の終点は田ノ浦漁港。

 

田野地区の雰囲気もグッド。二階堂むぎ焼酎の世界。

 

安定のマルフク看板。

 

田野地区も雑賀崎みたいなアマルフィ感ありますね。

 

新和歌浦観光ホテル(地上)とご対面。

 

海面に晒されている客室部分と比べて保存状態は良好。

 

政府登録の文字が誇らしい。

 

残留物など。

 

絶景のベンチ。

 

遊歩道が見える。

 

遊歩道に繋がる階段。

 

夕日や星景写真なんかも映えそう。

 

芸術的な傾きの看板だ。

 

ここの構図好き。

 

使われなくなった階段。

 

元従業員用のアパートかな?それにしても安すぎる・・・。

 

この階段はどこに繋がっているのやら。

 

木村屋さん再び。

陸側から見ると趣のある旅館といった形で崖下まで伸びているとは思えない。

 

トンネルふたつ。

 

物置にしてええんか?

 

わかうら食堂で昼食もいいかもしれない。

それでも私は和歌山市に来たのなら井出商店へ行きたいのさ。

 

以上、和歌浦の廃墟散歩。

この辺りの廃墟は解体されたニュースを何度か耳にしていたから期待以上の成果だった。お手軽に廃墟感を味わいたいなら絶好の場所に違いない。

下市町 旧街道沿いの街並み 奈良県

吉野の商都を歩く

奈良県下市町は古くから商業の街として発展を遂げたと街と言われている。手形発祥の地と看板にある通り、江戸時代初期に日本初となる商業手形が発行された。商業が盛んになったきっかけとしては平安時代まで遡り、荘園経営のため貴族が大挙して進出してきたことが所以とされる。

 

それでは旧街道を歩いて行こうか。

この町は修験道の宿場町としての側面もあり、古い商家や旅館などが数多く残っている。ただし、昭和12年の下市大火で秋野川沿いの家屋のほとんどが焼失したということで昭和以前の建物は残っていない。

 

つまりこの強烈な昭和の残り香は必然という話になる。

 

夜の店を感じる老齢近代建築。公衆電話がよく似合っている。

 

名物の柿の葉寿司。

 

双子コーデみたいなテントを構えた対面の店。



心ふれ。

 

実に素晴らしい雰囲気が続く。

鄙びた街並みといえば聞こえは良いが通り過ぎるのは車ばかりで人気はほとんど感じない。

 

旧街道から道を逸れた場所に名所あり。

ここを見に来たといっても過言でない源平歌舞伎の義経千本桜にも登場する「つるべすし 弥助」の外観。

妓楼を思わせる重厚な見た目に飾り窓を備える。

 

弁柄な色も素敵。

 

何とここ、現存する最古の寿司店だとか。ちなみに現役です。

 

奥には離れのような立派な建物も見えた。

 

こちらにも飲食店街を思わせる長屋がある。

 

可愛い。

 

旧街道へ戻りましょか。

 

ここにはもうひとつの見どころがある。

 

それがこの八幡神社横の旅館跡。

 

美しいアールを描いたお手本のようなカフェー建築。

 

京都の橋本遊郭や五条楽園の物件にも見劣りしない奈良の最終兵器。

 

下市町は、公的な赤線としての歴史はないが古くから商都や宿場町として栄えた場所柄から女郎の類は江戸の時代から存在したとされる。奈良県は明治二十一年に「料理屋飲料店取締規則」を発令した関係で取り締まりは厳しかったということだが、下市では抵抗も激しく一悶着があったそうだ。

 

調べてみてもはっきりとしたことは分からなかったが後は自身の妄想憶測で埋めましょうか。

 

八幡神社へ向かう道中に街を見下ろすと遊郭ちっくな物件が見えた。

 

街の中でも注意深く観察すると様々な意匠が見え隠れしていた。

 

こちらにも飾り窓。

 

旧街道の裏に流れる秋野川。

裏手に回ってみると川岸にせり出して並んでいた。

 

この辺りはまさに圧巻。

 

引いて見ると木造3階建てだ。観察眼が試される街だこと。

 

草ヒロ。

 

旧街道沿い以外も見どころたくさん。

 

自動車商の鑑札。

 

生涯見た中で最小のアポロ看板かも。

 

蛭子神社横にはこれまた圧巻の旅館跡。川まで地下があったようだが草木に覆われていて見えなかった残念。

 

以上、下市町の街並み。

実に歩く者が試される街だった。訪問後に答え合わせと称して諸先輩方の訪問記録を見たのだが見落としていた場所だらけで悲しくなった。何年言えばいいのだろう、まだまだ修行が足りませんねぇ。

下渕マーケット 2026年再訪の記録 奈良県

崩壊の進む市場跡

 

haikutu.hatenablog.com

前回の訪問から約3年。

奈良県の誇るレジェンドの現在を追う。

 

下渕マーケットのある大淀町。

近鉄線の下市口駅から続く商店街のアーチは健在だった。

 

踏切を越えた先の旅館跡も売り物件として残っていた。

 

緑テントのアーケード商店街も以前と変わらない姿だ。

 

ナポくんとよどりちゃん。

前回訪れた時はコロナ禍が終息してきた3年前の春。まさかあの頃よりも社会情勢が不安定になるとは思わなんだ。

 

さて、件の下渕マーケットは2026年でも無事でとりあえず一安心。

 

ぱっと見は以前と変わらない様子だが・・・。

 

何やら其処彼処の扉が開いているのではありませんか。

 

呉服店のカタログが落ちていた。

荒らされた感じなのか以前よりも不穏な雰囲気が漂っている。

 

2階部分は完全崩壊。

 

露出した店舗入り口。

思ったより荒らされていなくて一安心。それでも人為的な破壊は否定できない。

 

MAY・HOUSEの看板もいつまで保っていられるのやら。

 

アーケードの骨組みや2階部分から落下した物で埋め尽くされた通路。

 

ここも3年前とは明らかに違う。

 

そして路地を曲がった先にさらなる崩壊の足音。

 

土石流災害のように溢れ出した物が通路を埋め尽くしていた。

 

右奥の店の看板部分に注目。

2階の床が抜けた重みのせいか手前部分に大幅なズレが見られている。

 

3年前も相当やばいと思ったが市場としての面影も薄まってしまったきがしてならない。

 

鮮魚店跡だろうかケースが見える。

 

それでも所々で琴線に触れる。

これがレジェンドのレジェンドたる所以に違いない。

 

最後に入口を変えて入りなおそう。

 

こちらも終末を告げるラッパの音色が聞こえてきそうだが、奥に目をつぶれば原型を保っている。

 

以上、下渕マーケットの再訪記録。

以前に増して崩壊が進んだ市場内。昭和な雰囲気は辛うじて残るが非常に危険な状態だった。この手の場所は権利関係が複雑で解体も容易でないと聞く。このまま自然に身を任せて最後の時を待つのだろうか。

大塔村立阪本小学校跡を目指して 奈良県五條市

つづら折りの小学校

廃校界隈では有名な過酷すぎる通学路を持つ旧阪本小学校。

メディアなんかにも取り上げられているのを目にしたこともある。(「道との遭遇」だったか?)

 

旧阪本小学校は1873年に薬師堂を校舎として創立。二度の火事やダム建設で右往左往しながら1953年に現在の場所に建てられた。

 

それで山の中腹に学校を建てたものだから、生徒たちはこのつづら折りの急斜面を駆け上がらなければならなかったという話。残酷すぎるって。

 

大塔橋から覗く光景もインパクト特大。

 

はたして登るのにどのくらい掛かるのだろうか?

 

昭和館さんの昭和感が最高。ここ笑うところです。

 

この強烈な傾斜を登るのか・・・。

 

途中には「ふるさとの森公園」の駐車場もあり車で行くことも考えたが当時の子供の気持ちを考えて歩いて登ろう。

 

次のガードレールの傾斜が怖い。

 

第1コーナー。

 

小学生の気持ちなんて言ったけど本音は車が曲がりきれなかったらどうしようとか考えた口です。はい。

 

これだったら十分曲がりきれたでしょう。

 

橋と集落。

 

寺の見える第2コーナー。

次の傾斜は悪魔的といっていい角度に見える。

 

徐々に遠くなる橋。

 

寺を挟んで第3コーナー。

 

第4コーナーには公園の案内図。ほぼ見えねえっす。

 

連なるガードレールたち。

 

第5コーナー。

 

つづら折りと赤い橋がばっちり写るフォトジェニックな場所。

 

第6コーナーは墓。

 

山々に見守られて良い場所です。

 

第7コーナー。

墓を過ぎると路面状況がちっと悪化。

 

ここまで来ると橋や集落も見えません。

 

野鳥の聖域(バード・サンクチュアリ)

 

公園の管理状況はあんまりよろしくない様子。

 

第8コーナー。

思ったより道路は広いままだが軽自動車だと傾斜が結構きつそう。

 

木々に覆われる空。落ち葉や枝も目立つ。

 

ここを車で降りるのもちょっと嫌かも。この傾斜は怖いよ。

 



第9コーナーの先に駐車場を発見。

大型車じゃなければ登ってこれそう。逆に軽自動車だと登りの傾斜が不安だ。どちらにせよ降りるのは怖いが…。

 

道幅の狭さもトップレベル。

車で来たのなら駐車場までが安牌かな。

 

最後の第10コーナー。

 

その先に待つは旧阪本小学校跡。

 

立ち入り禁止の看板。

 

校庭の先に待つは校舎へ続く階段。さらに登らされるとは・・・。

 

こじんまりした可愛いプール。

 

以上、旧阪本小学校跡。

強烈な傾斜と10個もの曲がり道は足腰が鍛えられますな。