廃屈な日々〜旅と廃墟の回顧録〜

静岡県を中心にちょっと違った旅の記憶と記録。

路地裏の迷宮「筋骨めぐり」 飛騨金山

異次元世界へようこそ

古くは飛騨街道の宿場町として栄えた岐阜県下呂市金山町。

Googleマップを眺めていると「筋骨めぐり」という聞いたことのない言葉を発見した。調べてみると飛騨地方で筋骨と呼ばれる迷路のような路地裏を歩く観光コースということだった。

 

筋骨の由来は「飛騨街道は住人以外の人間や荷車の往来が激しく危険なため、建ち並ぶ民家の隙間に生活用として人が1人通れる程度の道幅の裏道がたくさん作られ、筋や骨が複雑に絡み合う人間の体に例え「筋骨」と名付けられた。」ということで、飛騨金山には昭和の世界で止まったかのような筋骨がたくさん残っているということ。観光パンフレットには”異次元・異時代・異空間に迷い込んだかのような不思議な世界を探検”なる文字も並び、否が応でも期待が膨らむ。

 

こちらが飛騨街道。この裏手に路地があるということだが、どこから取り掛かれば良いのやら・・・。

 

ポスターを発見。

 

ちょうど飛騨街道と劇場通りという通りの間に位置している水路沿いの路地を進む。私道ではなく公道ということで誰でも通れる道だ。

 

ひと一人通れるくらいの幅の路地。

左側の建物が解体されていなかったらもっと圧迫感があったのだろうね。

 

それでも充分魅力的な路地だ。

 

橋の上から筋骨を見よう。

俯瞰で見ると狭さが良く分かる。

 

この水路に跨る建造物がイイ!

 

家の軒下をくぐる。不思議な感覚だ。

 

水路には炊事場的な共同施設が残る。

郡上八幡でも似たような同じような場所があったな。

 

一際目を引くこの建築物。

配布されたMAPを見ると「ハウルの動く城」と名付けられていた見所のひとつ。

 

確かにハウルっぽい。

トタンの感じがディストピアな雰囲気。マッドマックスやウォーターワールドの世界観みもある。

 

この辺りが筋骨めぐりの花形か。ハウルの城以外にも見所がたくさんある。

 

橋の先の細い支柱の角度が凄い。

 

階段を登ると飛騨街道。

 

これ初見で降りる観光客はまずいないでしょうね。

 

この先はさらなる異次元ゾーン。

 

これ行くか?って感じの細い路地。

写真で見返しても住宅と住宅の間にしか見えない。筋骨めぐりなんて言葉がなければ手前の階段で迂回していただろう。

 

振り返って見ると道に見える・・・感覚が麻痺しているだけか?

 

床下も”抜けられます”

 

とんでもない所に設置された扉たち。昔は橋でも掛かっていたのだろうか。

 

※公道です。

 

完全に人の家の勝手口にしか見えないけど公道。

 

ここまで一本道なんだけど、コロコロと変わる風景は確かに不思議な感覚を覚えた。ポスターやパンフレットのコピーライトに偽りなし。

 

とりあえず終点。

 

この坂は赤いレターボックスの横と繋がっている。

 

そして筋骨はここだけではない。

むしろ”体の筋肉や骨のように複雑に絡んだ街並み”がここだけで終わるはずがない。

 

こちらにも共同の水場がある。井戸端会議が捗りそう。

 

生活感のある階段は大好物。

 

全て紹介していたらキリがないのでこの辺りで締めますか。

 

異次元・異時代・異空間に迷い込んだような不思議世界の名は伊達でない。目眩く変わる風景は夢の中というのか、言葉では言い表せない不思議な感覚だった。わかる人なら伝わると思うが、伊藤潤二先生の「道のない街」という作品の世界観に近い場所に感じた。先生も宿場町として知られる岐阜県中津川市出身のため、もしかしたらこれに近しい場所から着想を得ていたかも・・・なんて妄想するのも一興ですな。

 

静岡県 菊川中央商店街

商店の消えた商店街

静岡県菊川市

都営新宿線ではなく東海道線菊川駅

何気に初めて来るかも。茶所として有名な割に観光地は不毛な町。県民でもこれといった場所が思い浮かばない者は多いだろう。

 

事実として宿泊客と観光客の合算である観光交流数は県内の市でワーストワンという記録を持っている。

 

駅周辺は再開発が進み、商業エリアが駅北のスーパーや家電量販店などの複合施設に集中し、かつて中心市街地であった駅前は閑散としていた。

 

駅前の道路を渡ると商店街があり、遊歩道として整備されている。

 

「菊川中央商店街グリーンモール」と名前はあるが肝心の商店が壊滅状態となっている。

 

再開発に伴って建物のほとんどが真新しい。

商店だった形跡や機能を持つ建物はあるが、ほとんどが住宅という印象。

 

この通り唯一と言っていい飲食店が二軒の飲み屋。

 

商店街の目玉がこの幟。

 

菊川市出身の漫画家小山ゆう先生の描くイラスト。

「がんばれ元気」「おーい龍馬」「あずみ」などが有名。郷土との関わりも深く、昔から菊川茶のパッケージデザインに用いられていたのを覚えている。

 

マンホールも小山ゆうデザインの茶娘。

駅舎の改装前は駅前ギャラリーとしてイラストの展示などがあったみたいだ。

 

商店街に残る赤レンガ倉庫。

保存が難しいということで菊川町と小笠町の合併で菊川市へ移行する際に取り壊す計画だった。しかし保存を望む声が挙がり、観光資源として活かす方向となった。毎週日曜日に一般開放される他、各種イベントなど開催されている。

 

裏手。

この日は音楽イベントがあった模様で楽しそうな声が聞こえてきた。

 

道路を挟んで後半戦。

こちらも学習塾があるだけで商店街らしい風景は見られない。遊歩道沿いの閑静な住宅地といった感じだ。

 

遊歩道の終わり。左側の広場は菊川市市役所のコミュニティセンターになっている。

 

遊歩道から一般道に移るとようやく現役の商店が現れた。

 

「きくがわしんまち」でよろしいでしょうか?

ちょっと不気味な動物たちが並んでおりますね。

 

公園に響く子供たちの声。

 

パンダ!

この辺りも再開発された様子が随所に見られた。

 

そこから進んでいくとようやく趣のある店舗が顔を出す。再開発されたエリアと比べると年季が入っている。時系列は逆となったが、この後に菊川遊郭跡へ寄るため今回の探索はこの辺りで終了となった。

 

 

まとめ

平成の大合併で再開発されてから街がガラリと変わった様子。

商店街のあったエリアは住宅街に変わり、名残が消えてしまったようだ。車社会になってから駅前の商店街は無用の長物になっていたのかもしれない。再開発の際に住宅へ転換した店も多かったのではないだろうか。シャッター街のままよりか建設的であることは分かるが商店街好きとしては寂しい限りだ。

菊川遊郭 静岡県菊川市 

菊川遊郭 通称「茶畑」

静岡県西部に位置する菊川市

お茶の産地として有名な場所だが、それに相応しい通称を持つ遊郭が存在していた。

 

その名も茶畑!

JR菊川駅から徒歩10分弱の住宅街にあるが、現役時代は茶畑で囲まれていたことが由来らしい。静岡県遊郭跡情報はありがたいことに「静岡県遊郭跡を歩く」という著書に詳細が細かくまとまっている。

 

中華料理店跡の隣に趣のある住宅がある。

 

こちら旧「金波楼」と思われる物件。

 

透かし窓の上には淡い青のカラー。

 

ベンガラ色の塀?

 

その他は目立つ特徴なし。

 

そして遺構らしき物件もここだけ。

 

再開発の進む菊川駅前だが、茶畑周囲はレトロな姿で残っている。

 

街道沿いにあるホルモン焼き屋が盛場の残り火か。

 

初咲町という地名は現在では使われていない旧名称。

 

転がる看板。

現役なのか判断の難しいクリーニング店。

店先にあった犬のぬいぐるみは日テレ系ローカル局静岡第一テレビのキャラクター「ダイちゃん」。気がついたらリストラされていて見かけなくなった悲しき犬。俯いてせつない顔してますね・・・。

 

調べると94年から15年の約20年の生涯だった。深夜になるとダイちゃん絵描き歌が延々とリピートされていたのも良い思い出か。

 

以上が菊川遊郭の現在。

ほぼ住宅街という感じだったが、こんな所に遺構が残っていたとは驚きだ。隣の掛川市遊郭跡は何も残っていないからね。

 

次回は再開発の進んだ菊川駅周辺の様子をまとめてみたいと思う。

千本桜商店会 神奈川県大和市

桜満開の千本桜商店会

神奈川県大和市にある千本桜商店会。

傍に流れる引地川沿いの桜並木が自慢の商店街。

バス停は商店「街」だけど商店「会」が正式名称。

ここの存在自体は数年前から認識していたが、せっかくだから春の時期に訪問しようと決めていた場所だ。

 

商店街の構成は片蓋式アーケードのある通りと無い通りで半々といったところ。

 

アーケードは非常に短い。

この日は道路工事があり、常に渋滞していた。

 

屋根は頑丈な鉄筋製。名前の通り桜色のカラーが可愛らしい印象だ。

 

商店街は残念ながら営業している店の方が少ない様子。

 

www.townnews.co.jp

こちらの記事に現状がまとまっている。

要約すると、20年程前は30軒以上の店があったが、現在は7軒を残すのみ。かつては街の中心であったが、高座渋谷駅の再開発に伴って移動してしまったということ。

 

営業している店の周囲を見ても隣が空き地になっていたり、住宅へ転用が目立つ。

 

この無人販売店は新しそう。

 

シャッターの降りた店のほとんどに面影がない。

 

これはレンタルビデオ屋の跡地だろうか。

 

途中にあったバス停から桜を眺める。商店会自慢の桜を見に行こう。

大変美しゅうございます。

曇り空なのが残念だけど、春に来て正解な場所だ。この日も花見客がいっぱい訪れていた。

 

ついでに川沿いをお散歩。

 

千本桜の名前に恥じない圧巻の桜並木。

 

管理が行き届いている印象で季節の花々と桜の共演を楽しむことができた。

 

道路沿いから見ても綺麗。

 

アーケードにあった居酒屋も満員御礼。

24年3月放送のアド街高座渋谷だったということで、この辺りもたくさん取り上げられたみたい。商店街を歩いていたら近所のオバ様に「アド街出たよ〜」と声を掛けられた。

 

商店会の看板はファミリーマートの手前まで続いている。

 

商店街らしい景色は少ないが昔ながらの駄菓子屋に人だかりがあった。人がいなかったら遊びたかったな。

 

以上が千本桜商店会。

小さな商店街であったが美しい春の景色とともに思い出に刻まれた。

また春に会いましょう。

 

www.youtube.com

何とテーマソングが存在する。

聞いてみたが超エモい。心にグッときます。みんなで歌おう。

 

奥稲荷社 京都府宇治田原町の廃神社

山間の廃稲荷神社

京都府三重県の境に位置する山間の稲荷神社。

約10年前に管理する団体が解散となり、そこから放置されている模様。場所は国道沿いにあり、市街地からのアクセスは良好。

 

鳥居をくぐって参道を征く。日没が迫る中、急ぎ足で本殿を目指す。

 

黄昏時の山中は不気味そのもの。

徐々に暗くなっていくことに対して本能的に危険を感じるのだと思う。

 

脇を見れば鳥居だった残骸が転がる。

千本鳥居とは言わなくとも、かつては参道に立っていたのだろう。

 

落ち葉だらけの参道は外灯も立っていたが電線は垂れ下がり管理状態が伺える。

ちょうどこの辺りで野生のニホンザルと遭遇。もちろん私の心臓はバクバクだ。

 

幸いな事に参道は短い。歩き始めて数分で社務所の跡地へ辿り着いた。

 

すぐ隣に本殿と摂社が並ぶ。

 

参道同様に落ち葉は気になるが、保存状態は良好。

 

荒らされている様子なく自然に朽ちていく様子が神秘的で美しい。

 

新しめのお供え物。管理こそされていないが細々と信仰は続いている様子。

 

・・・源氏パイって油揚げっぽい見た目っすね。

 

ルールルル、おキツネ様を呼びましょう。ちょっと怖い顔だけど可愛いです。

 

こちらの社には何と・・・

 

剥製のおキツネ様がいた。

 

こちらのおキツネ様たちは目玉がある。ルールルル、可愛いねぇ。

 

ちっこいおキツネ様ももちろん可愛い。

 

崩壊したトイレ跡。

遠くにニホンザルの姿を確認。こういう時に望遠レンズがあるといいなぁ。

 

明治百年記念の石碑。

1963年頃だろうか。日本各地に明治百年を記念したものがあり、当時の風潮を感じさせる。この稲荷社も同じ頃に建てられたのだろうか。

 

石の形が面白い手水舎。

 

最後に社務所を見ておこう。

 

隣にある手水舎の屋根の傾きが気になる・・・。

 

社務所の中は広い畳部屋でお酒やカセットコンロなど地域住民の集まる場所だった様子が伺える。カレンダーは無かったがハローページは2015年で止まっていた。そんで、調べてみるとハローページ自体21年で配布が終了しているようだ・・・時代ですかね。

 

高台から望む奥稲荷社。

 

何とか日没までに探索が終了。

 

道路から良く見える位置に看板があるも木々で覆われている。

 

創始者は永谷周一さんという方。

近くには永谷宗円生家という日本の緑茶製法の礎を築いた方の家がある。関係者だろうか。

 

小さな集落にある小さな稲荷神社は管理こそされていないが細々と信仰が続いていた。

廃墟になった現在も神秘的な雰囲気は変わらず味わえた。いつか訪れる自然に帰る日まで集落を見守っていくのだろう。

富士吉田市 月江寺駅周辺の赤線跡と昭和の盛場

月江寺駅周辺に残る昭和の残影

久しぶりに富士吉田を訪れたため月江寺駅周辺の様子を定点観測的にレポート。

 

・・・定点観測といってもこのブログでは新世界乾杯通りを軽く触れた程度だっけか。

 

簡単に今回訪れた場所を紹介。山梨県富士吉田市月江寺駅周辺は昭和で時が止まったかのような盛場が現在も残っている。歴史を紐解くと富士演習場も近く、戦後は自衛隊進駐軍相手に賑わいを見せた場所でもある。

 

まずは市営駐車場近くのミリオン通りからスタート。

 

この通りは特に変わった様子はない。

10年近く前はゴタゴタと怪しい店が多い印象だったが随分とさっぱりした通りになっている。

 

ミリオン通りを抜けると西裏通りが待っている。

 

富士山のビュースポットということで晴天の日は大きく写すことができる。この日は多くの外国人観光客が写真を撮っていた。

 

建物自体に変わった様子はない。

相変わらずトタンの味が強い建物が残っていた。

 

そして何度も通っているはずなのに気がつかなったのがこのお店。

 

横を見ると飾り窓があるではないか!

 

そして超絶悲報。

二軒並んでいたカフエー建築のひとつが解体されていた。

 

合掌・・・。

後世に残したい名建築がまたひとつ逝ってしまった。

 

上の3枚は2022年撮影。

横には飾り窓もあったりして良い建物だった。

 

新世界乾杯通りへ行く前に妓楼っぽい金寿司を表から拝む。

この提灯が並ぶ通りも以前は「神の氏通り」みたいな名前の幕があった気がするがうろ覚えなので自信なし。

 

赤線跡と言われている旧新世界通り。

10年前は廃墟同然に放置されていたが新世界乾杯通りと名称を改めて復活を遂げた場所だ。

 

金寿司を新世界乾杯通り側から。

変なキャラクターは台湾のアーティストとのコラボということ。個人的にこういうのはいらないかな。

 

この通りは小綺麗になったとはいえ見所は健在。

 

破壊力の高い裏通りは往年の姿のままだ。

 

ラスボス感漂うフォーエバーも残っていた。

 

名前の通りいつまでも残って欲しいものだ。

 

ここを抜けると富士吉田のメイン商店街となる本町通りだが前回の記事で触れたため割愛。

 

月江寺大門商店街。

ここも特に変わりない様子。

 

レトロ感満載の書店が目玉。

 

本町商店街や西裏通りと比べても観光客は少なめ。

 

周辺の路地にも昭和の残影が残る。

 

カフエーの名残ある物件。昔は屋号が読めた気がするが現在では掠れてしまっている。

 

小室浅間神社近くのスナック街。

 

他にも掘れば色々あるが定点観測しているのはこのくらい。

 

エストクイーン通り。

うむ、何か変わっているかもしれないが店の名前は覚えきていない(笑)

 

クイーンの後はキング。

ここもあまり変わっていないような・・・。

 

市営駐車場のある一本杉通りを通って月江寺駅を目指す。

 

ここの雰囲気も好き。

 

川を挟んでリバーサイド通り。

川といえば川だけどほぼドブ川。それでもリバーサイドなんですよ。

 

ここも変わりなし。このエリアまで来るとすれ違う人もまばら。往年の富士吉田らしいスローな時間が流れている。

 

駅前の通り。

 

ここを曲がると横丁がある。

 

こんなにスカスカだっけ?

 

中央にあった建物が解体された様子。前に来た時はあったような無かったような…

 

可愛い駅舎の月江寺駅

 

久しぶりの富士吉田は軽食喫茶ハート&ハートの解体と外国人観光客の増加には驚いた。さすがに裏通りはまばらだったけど、人気がない頃から応援していた歌手がメジャーへ行ってしまったのと近い感覚になった。・・・自分で言っといて何目線なんだろう。

訪日観光客で凄いことになっている富士吉田市

2024年3月 富士吉田訪問記

久しぶりの富士吉田市は訪日観光客でごった返していた。

富士吉田はコロナ禍以前から訪日外国人の数は多かったものの、人が集中するエリアは忍野八海など観光地と富士吉田駅周辺の印象だった。それが富士吉田駅から1.5kmほど離れたこの場所に外国人観光客が殺到していた。

 

裏通りの月江寺駅周辺も外国人観光客で溢れかえっているではないか。

 

目的というのか、原因はこれ系の写真だろうね。

ここ数年で嫌というほど見かけた本町通り商店街から望遠レンズで抜く富士山。

 

再現性も高いためか国を問わず大人気。

皆さま隙を見て車道で写真を撮っておられた。

 

一応警告文も掲示されていたけど、せっかくの訪日だからね。無理をしたくなる気持ちも分かるけど危険な行為。それに加えて納得がいくまで何枚も撮り直す人が多い印象だった。

 

交差点ごとに警備員が配置され、結構キツめに注意をされていた。お疲れ様です。

 

特に人気の交差点。常に満員御礼。

信号が変わるごとにカメラやスマホを構えて飛び出す人が続出で警備員さんも大忙し。

 

迷惑極まりない左折直後の送迎行為。

岐阜県白川郷でも問題になっていた白タクもこういう感じだったのかな。

 

ここ数年で我々日本人の観光スタイルも随分と変わったと思っていたが、外国人の方も同じ様子。

 

もちろん悪い事ばかりでなく、死に体だった商店街には明るい兆しなのだろう。新規開店する店もたくさん見られていた。

 

商店街の警告文こそコロナ前からあったと思うがここまでの人手は無かったと思う。

町としては見違えるほどの活気を感じられたが、撮影マナーの問題は深刻に見えた。行政も何かしらの対策は行ってくれると思うが、観光客と地域住民お互い気持ちよく過ごせるようになってくれることを祈るばかりだ。

 

・・・こんな事言っているけど、私も住宅街にカメラ構えて徘徊する迷惑な者だからインバウンド客と同じようなものか。少なくとも不快に思われない行動を心がけていきたい。