その①はこちらから。
夏焼隧道の通る林道の終点へ到着。
Googleマップによるとここから200mmの位置に夏焼集落があるということ。
坂を登るとキープアウト。
他県ナンバーの車と浜松市ナンバーのバイクが停まっていた。
その片隅に廃車が佇む。
山道を歩いていると男性の方とすれ違う。
限界集落か廃村にしては人の出入りは多い様子だ。
トロッコのレール。人も乗れる仕様だ。
斜面の片隅には多くの二輪車が埋まっている。
集落から流されて来たのだろうか。
広がる森林と天竜川の雄大さとクリーミーなカラーはまるで中国映画のワンシーンのようだ。
東南の風!というよりは山奥に住む仙人へ合いに行く気分。急斜面にある茶畑が静岡県である現実に戻してくれた。
写真が下手なせいで伝わらない部分もあるが実物はもっと雄大だ。ぐぬぬ。
ここからかなり急勾配となり、一気に標高を駆け上がる。なるほど。天空の秘境と呼ばれる由縁が分かる。
後ろを振り向くと絶景が広がる。ここの集落に住んでいた人は毎日見ていた景色なのだろう。
階段を登りきると家々が建ち並ぶ。状態はどこも綺麗である程度の管理はされている様子。荒れた様子は少ないが晴天にも関わらず雨戸まで閉め切っているのが人気の無さを物語っているようだ。
誘われるままに路地裏を歩く。
どうしても天竜川に目がいってしまう。ここでの生活はどうだったのだろう。
ふとした場所に残される産業の残骸たち。
ここで見た景色、平地で暮らす私にはその全てが新鮮だ。
この集落を登っていくと神社がある。2本の若い杉とトロッコレールに守られており、少し通りにくいのはご愛嬌。この集落では諏訪信仰があったみたいで小さいながら諏訪神社であった。天竜川は諏訪湖水系ということでそこに総本社のある諏訪神社はうってつけの存在だ。
さらに高台を目指す。
天空の集落で一番高い位置にある廃屋。ここも生活感は残されているが周囲の景色から人の気配は感じられない。
朽ちた電化製品と伸びた蔦はやっぱり好きだな。
崩壊が進んだウッドデッキからの眺めは一級品。
集落をふらふらと彷徨う。廃墟や普通の廃村とは違って明日からでも暮らせそうな家々。まるで時計の止まった世界に私ひとりだけの気分。
探検を楽しんでいると遠くの廃屋へ夫婦が入っていくのを目撃する。・・・私ひとりの世界じゃなかったのね。ここが荒れていないのは今でも旧住民が頻繁に訪れているためなのかな。
ここは階段がたくさんあって楽しいなぁ。
木々に囲まれた中にも家がある。ここも荒れた様子がない。
自然の力は侮れない。ほっといていたらこんな風にすぐ荒れてしまうはずなのだが、住民こそ不在であるが今でも愛されている集落に思える。
集落を一周歩き、路地裏を抜ける。陽が傾き始めている。名残惜しい思いがある私はもう一周カメラを持たずに集落を歩いて情景を胸に刻んだ。
帰路の際に小川で水を組む先ほど見た夫婦と出会う。挨拶を交わしたのちに二、三会話をする。聞いたところ、奥様の祖父にあたる方がここの住人だったそうで今でも時々通っているとのこと。今回は山菜の収穫に来たそうで他の家についても親族が管理されているところが多いみたいだ。
さらに帰り道トンネルを歩いていると車から「駅まで送っていきましょうか」と言葉をいただき、それに甘えさせていただいた。集落までの道のりでまるで中国の運河のようだったと感想を述べると「そういう見方もあるんだね」と言葉を貰う。
トンネル内で”不運”と”踊”っちまった脱輪車を思い出す。なんとかギリギリ通り抜けることができた。出口付近で慌てた様子で駆け寄る二名の男性。運転手と警察だった。何か手伝うことはないかと旦那さんが声を掛けたがJAFを手配しているということでそのまま駅へ送っていただいた。
感想
車で乗り付けられない場所に存在するま秘境の集落。廃村や廃集落の定義は人によってあるかと思うが、無人化したとはいえ手入れが行き届いている印象。人の往来が存在し世間から忘れられていないこの場所は廃村と呼ぶにはまだ相応しくないのかなと思う。放置された一般的な廃村とは違って人の暖かみが残っている場所だった。景観も素晴らしく、天竜川水系で一番感動したといっても過言でない。天竜峡とかも好きなんだけど、たどり着くまでの苦労も一味買っているのかなーなんて思う。苦労とはいえ、場所さえ分かれば駅から徒歩60分も掛からないため秘境観光にはオススメできるスポットだ。