廃屈な日々〜旅と廃墟の回顧録〜

静岡県を中心にちょっと違った旅の記憶と記録。

土倉鉱山跡 滋賀のラピュタ

山奥にある滋賀のラピュタ

 

日本で藪に覆われたコンクリート遺構の異名はラピュタかマチュ・ピチュと相場が決まっている。土倉鉱山は「湖北のマチュピチュ」と呼称されることもあるが、「滋賀のラピュタ」の方がポピュラーな印象だ。日本のラピュタで有名どころと言えば、神奈川県の猿島和歌山県友ヶ島が挙がる。

 

 

土倉鉱山。

滋賀県長浜市木之本町金居原に存在した銅鉱山。明治に発見され、1956年前後の最盛期には400戸1500人が生活していたということ。しかし、銅の輸入自由化や鉱質の低下により1965年に閉山。従業員や家族は山を離れ、木造の住居や事務所など建物は解体に至っている。かつては集落に職員寮、学校、医局、マーケット、映画館も建ち並び、他県からも鉱山労働者が集まり、ふもとの町より栄えていたという記録がある。

 

国道303号線から側道へ降りる。

長浜県木之本本町と言えばサラダパンで有名なつるやパン。

山深く見えるが、そこから車で約25分と意外なくらいアクセスしやすい位置に存在する。

 

側道を走るとさらに分岐がある。

看板があり迷うことは無さそうだが、ここから対向車とすれ違うのが難しくなるから注意が必要。道自体は舗装されており走りやすい。ここから300m先に土倉鉱山があり、反対側に6台程度停められそうな駐車スペースも備えられている。

 

滋賀のラピュタ、どうでしょう?

道路沿いの斜面に聳え立つコンクリ遺構。

藪が深すぎてコンクリートの露出が少なく見える。ちょっと来る時期をミスった感は否めない。(ちなみに6月末に行きました)

 

気を取り直して遺構を眺める。

 

残念なことに鉱山跡へ侵入する者が相次ぎ、2021年にロープが張られ、22年11月には柵の設置へ至っている。救急車が出動する騒ぎもあったということで仕方のない措置だと思うが廃墟写真の観点から見ると無い方が迫力あるかな。

 

ここ数年はSNSでの拡散力が強い、コスプレや車・バイク界隈の人気がすごかったらしく、休日になると1日に数百人が訪れたということ。この日は平日だし私のひとり占めだったから良かった。

 

猿島友ヶ島に比べるとラピュタって感じは薄いけど緑とコンクリの組み合わせは神秘的でございます。青空だったらもう少しラピュタ感が出そう。

 

草木がモッサモサ。

本当に時期の関係でモスバーガーのレタスかよってくらいに緑の主張が激しすぎる。

 

ここは秋から春先までがハイシーズンかな。初夏の今は藪に飲み込まれすぎて全貌が分からない状態だ。

 

斜面に段々と展開されている鉱山跡。この辺は確かにラピュタっぽい。秋冬に来ればどーんとコンクリが目一杯に見れそう。

 

藪でコンクリの露出が少ないせいで構図の自由度も少なめ。レンズを交換しても同じ様な写真ばかりデータに残っていた。

 

ちょっと違う写真たち。

歴戦のツワモノだけに残る傷に萌える。

 

藪に覆われて見れない見れないと同じ様な文句ばかり言っていけど、これはこれでアリなんじゃないっすかね。新緑の伊吹が退廃的な遺構と良く似合っております。秋に来たら「枯葉と良く似合っている」と言うのだろうし、四季折々に色々な魅力があるのだろう。当たり前か。

 

そういえば道路の舗装自体も最近らしく、ここも赤土だったらもっとラピュタ感があったはず。その分、路面状態によっては車が悲惨なことになるけど。

 

最後に石碑を撮って別れを告げる。何て書いてあるんだろう。

 

感想を言うと、できれば柵が設置される前に来たかったというのが一番。曇り空で残念なのが二番。藪に覆われすぎなのが三番といった具合か。それを踏まえてもコンクリと緑という組み合わせはやっぱり良いですな。ただ、そこまでラピュタではない気もするぞ。

 

そして、集落はどの辺りにあったのか。こんな場所に映画館まであったなんて今の世の中じゃ想像できませんね!

 

滋賀県に来たら食べたくなるサラダパン。ついでに東日本では買えないカールを買って帰ります。