三保を目指して廃線跡を歩く
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巴川河口にある静清浄化センター。
この敷地内に清水港線の巴川河口駅が存在していた。
プラットホームが保存されており事務所に許可を取れば見学することができる。
敷地外からでも様子は視認できる場所のため、わざわざ行かなくともとは思う。
まぁ、行くんですけどね。
レールは分からないがプラットホーム自体は明らかに当時の物ではない。駅名標も同様だ。
どの程度当時を再現できているか不明だが、こうして保存されているのは分かりやすくて助かるものだ。
ここから次の停車駅である折戸駅までが一番長い区間となる。
浄化センターからは遊歩道が整備されており、終点の三保駅まで迷わず進むことができる。
清水のヤマダ電機の裏と言えば地元の人間なら伝わるだろう。
道端を見ると境界杭が並んでいた。鉄道線路時代の遺構だろうか。
しばらく歩くと国道150号線に合流する。
そういえば、以前はここに鉄道車両が保存されていた気がする。小さい頃に母と清水駅から三保まで歩いた時にはあったはず。それから何度も通っている道だが、いつの間にか消えていた。気にも留めていないとはこの事だろう。
現在は空き地となっているこの場所。調べてみると鈴与グループという静岡市では大きい企業が車両を保有していたということ。撤去された時期については不明だ。
しばらく歩くと旧三保駅まで3000mの看板を発見。
裏面を見ると「から」の看板となっていた。
そろそろお腹が空いてきた。清水といえばマグロですね。
は・は・はま寿司!
昼食を済ませ、線路跡に戻ると三保松原の看板が見える。
あと2500m。こんじょだ、こんじょ!
この廃線跡は貨物線だったこともあり、工場など間近で見れるのが魅力だと思う。車では見えない風景というものがたくさんあった。
遊歩道を進むと急に道が開けてきた。この辺りが折戸駅だろうか。
公園がある。地図上で見てもこの辺りで間違いなさそうだ。
旧折戸駅は清水港線でも乗り降りが一番多かった駅ということ。清水方面への通学や通勤で使われていたみたい。
さらに進むと・・・
看板に折戸駅の文字が残る。写真では見づらいが「←折戸駅跡」となっていた。ちょうど公園の方を指している。
白い看板は渡船みたいなものだろうか。昭和25年まで地元民の足となる海路があったみたいだ。
ここの円は転車台かもしれない。
遊歩道の雰囲気が少し変わってくる。
遠くからだとレール跡に見える厄介な側溝。
交差点はどこはかとなく踏み切りの面影が見え隠れしていた。
あと1000m!
先ほどと同様の看板。ほぼ読み取れない。
さて、残り500m!
こ、これは・・・。
パルチャン!
自治体よりあなたにプレゼント「微笑」
こういうのでいいんだよなー。
センスが爆発しています。最高です。火の元に注意して地震対策も考え直します。
素敵な出逢いに感謝しつつ、終点である旧三保駅のある公園に到着。津波避難タワーを見るや否や脊髄反射のごとく登りました。
海が見えるほどの高さはないものの、広がる工場風景が素敵だった。
旧三保駅にはディーゼル機関車とプラットホームが保存されている。
貨物を牽引するということで普通の車両より強そうだ。この働く車感が最高にイカしている。
これ「車」って書いてあるのかな。キン肉マンみたい。
プラットホームにはベンチがあるだけで駅名標など残っていない。
巴川河口駅と違い、当時のプラットホームを補修して保存されている様子が石段から伺えた。
公園を進むと、これまた円。転車台説、あると思います。
終点ということで遊歩道も続いていない。8.3kmという短い路線であったが踏破することができた。
ついでに三保松原へ。
昔は萎びた売店くらいしかなかったのだが、世界遺産登録を目指す段階で整備されてできたミュージアム「みほしるべ」。伊豆長岡にある韮山反射炉なんかも10年ちょっと前までは何もない場所だったのに変わっちまったなぁ。
昔は暴れん坊将軍のOPに使われたことをやたらアピールしていた印象だが、世界遺産様の前では不要なことか。ここが富士山の展望地だが、天気に恵まれないと拝むことはできない。
帰りは船でエスパルスドリームプラザまで行こうと思ったが、時間が合わずにレンタサイクルで戻ることにした。
清水港線は遺構自体ほとんど残っておらず、ネットを探しても古い情報が多いものの、線路自体が短い関係でポイントは抑えられたと思う。今まで見逃していた景色や消えてしまった物に気づかされる1日となった。パルチャンの微笑は一生忘れないだろう。遊歩道とか何気なく歩いていたけれど、まっすぐな道ができる過程とか街には秘密が眠っていると思うとワクワクが止まらない。
ちなみに遊歩道は自転車専用道路と並走していたけど、このポールは通りにくかったなー。逆に考えれば強制一時停止に凄く役立っているとも言えるけど。