廃屈な日々〜旅と廃墟の回顧録〜

静岡県を中心にちょっと違った旅の記憶と記録。

擬洋風 藤村式建築を巡る① 山梨県の廃校

文明開花の音がする

 

山梨県で気にはなっていたけど守備範囲外だった物件がある。

甲府駅や道の駅で見かけるインク壺みたいな建物。重要文化財的な校舎であることは知っていたが、今まで深掘りすることなく通り過ぎていた。改めて調べ直すと明治時代初期に建築された「藤村式建築」と呼ばれる日本でも最初期に当たる洋風建築だった。今で言う県知事の立場であった藤村紫郎さんの指導のもと建てられた洋風の公共施設は100を越えたとされ、ひとつの村に1件はあったというから驚きだ。時代は移り、現在残された物件は7件。内1件は愛知県の明治村に移築されているため、県内では6件となる。

 

道の駅 富士川

道の駅富士川藤村式建築を模して作られている。

これは模倣しただけで歴史的価値はないものの、山梨県における藤村式建築の立ち位置が何となく分かる気がする。

 

道の駅からほど近くに富士川町民俗資料館として旧舂米(つきよね)学校校舎が保存されている。

 

旧舂米学校校舎

明治9年に開校。

移築を繰り返した歴史があり、当初は現舂米公民館の場所に建築。明治21年に増穂小学校の体育館の場所に移築。大正8年から増穂町役場として利用されていたが、昭和41年に新庁舎が完成で現在の位置へ昭和49年に移築。以降は民俗資料館として現在へ至る。

 

沿革について。

移築に伴い復元工事が繰り返されている様子でどの辺りまで再現できているのか見もの。

 

上記の経緯のため富士川町立増穂小学校の敷地内にある。開館が水・日と第二土曜日のみと訪問へのハードルが微妙に高い。料金は無料となっている。

校舎ということで教室の一部が保存されていた。
中は木造であるがモダンな意匠が光る装飾がなされている。

 

藤村式建築の解説があった。

それぞれの特徴を見ていこう。

 

すかし天井とファンライト。

出入り口上部の円形の装飾も特徴とされている。

 

西洋風の木造円柱。

 

2階バルコニー。

 

上部に見える塔は太鼓楼と呼ばれ、中に太鼓が備え付けれている。西洋の教会の鐘をイメージして時刻を告げる役割を持っていたということ。

 

石造りを漆喰塗りで再現した壁面。

 

こんな所か。それにしても鐘の代用で和太鼓というのがいいね!

 

残念ながら太鼓楼は見学できず。

 

それでも素敵な階段写真が撮れて満足満足。

 

昔の校舎の階段ってどうして私の心を惹きつけるのか・・・。

 

2階の展示にある青い目の人形。

戦前に日米友好の証として西洋の人形が各地の学校に送られたそうだが、開戦とともにほとんどが焼き払われてしまったみたい。逆に日本からアメリカへ送った人形は数多く残っているらしく、当時の国民性を垣間見ることができた。

 

津金学校

続いて訪れたのが津金学校。

北杜市須玉町清里高原へ向かう道路沿いと山間にある校舎。

 

幹線道路に「おいしい学校」と看板があり、廃校をリノベーションして食事や宿泊のできる施設となっている。ここの特徴といえば昭和、大正、明治とそれぞれの時代に建てられた校舎が残っていることだ。

 

おいしい学校。昭和校舎。

お土産屋、給食メニューの食べられる食堂、石窯ピザ、宿泊施設を兼ねている。

 

大正校舎。公民館?

いつ行っても開いていない。モダンな雰囲気にある明治校舎と対照的な和風な外観。

 

明治校舎。今回の目当てである藤村式建築の校舎。

民俗資料館の他、カフェも併設している。訪問日はイベントが開催されておりたくさんの人が集まっていた。

 

藤村式建築の特徴を見てみよう。

木造の円柱。

バルコニーとすかし天井。

 

石造り風の漆喰塗り。

 

太鼓楼。

風見鶏がモダンで可愛い。

 

民俗資料館は有料で200円。

 

メインとなる展示は2階となる。

 

1階にも昭和を感じさせる楽しい展示の数々。サトちゃんは町内の薬局から寄贈されたものらしく、10円入れれば動く。私の体重では乗れないのが惜しい。

 

階段の勾配が凄い。

こういう部分こそ義洋風な要素。

 

2階は教室、展示室、バルコニーがある。

 

雰囲気のある机と椅子が並ぶ。

 

陰影が美しい。

机には昭和の文字があり、さすがに明治時代の物ではないらしい。

 

教卓にあるアンケート。粋だねぇ。

 

バルコニー。

円柱と天井のすかしの意匠が光る。・・・だいぶ色落ちしている様子だが。

 

何故か置かれている自転車。運ぶの大変だったろうに・・・。

 

展示物あれこれ。

バラエティに富んでいて楽しい。

 

藤村式建築が勢揃い。

 

在りし日の津金学校。

今の姿よりかなり和風の様な・・・。本来の姿がこれなのか、この時点で経年劣化していた可能性も捨て難い。

 

この右側の坂は階段でございます。いざ、太鼓楼へ!

 

おぉ、本当に和太鼓が吊り下げられている。

 

この太鼓も当時の人からすれば文明開花の鐘の音だったのだろうか。私も明治時代に思いを馳せますよ。

 

イベントは大盛況。

 

ちなみに屋根裏はこんな感じ。天井には和紙が貼られているそうな。

 

こういう山間の集落にも文明開花の音をもたらした藤村式建築の校舎。色々な思いを乗せて今日まで至っているのでしょう。残りは次回に続きます。

 

haikutu.hatenablog.com

 

 

 

おまけ

おいしい学校の裏側には廃プールがあるよ。