“原子力 明るい未来のエネルギー“
2011年3月11日に発生した原子力発電所事故に対する最大の皮肉として記憶されている。
原発と共存してきた町の象徴としてニュースなどでもよく目にしたのではなかろうか。
原子力発電所を誘致すること。
様々な利権が絡む。詳しくは分からないが、誘致による経済的な恩恵はそれだけで魅力であろう。
安全なエネルギー、発展していく町。住民が一丸となって夢を見た明るい未来。
そんな夢見た未来は何の前触れもなく崩れていった。
JR双葉駅へ向かう。
町の規模に対して大きめな駅舎。
隣には無料駐車場が併設されており便利だ。
無人駅であるが1階にはNPO法人にありがちな地域活性コミュニティカフェがオープンしている。
当日は駅の利用者とすれ違うことなく静かな雰囲気だった。
つい、止まっていた時間の場所を探してしまうが・・・
本当は動き出している場所にこそ目をやるべきなんだよね。
それでも駅からものの数分でこの有様。
まだまだ無視できるほどではないのも現状だ。
今年で震災から10年となるが福島の本格的な復興は遠く思える。
店舗の中もあの日から変わっていない。
震災の爪痕は随所に残ったまま。
洗濯物もそのままにしている家も多く、ひっ迫した当日の様子が伝わってくる。
ここが例の看板のあった場所。
撤去されるとただの道路にしか見えない。
明るい未来を夢見させてくれたとはいえ、代償は大きすぎる。
国道6号線を地下道を通って横断する。
国道も双葉町までは廃墟が建ち並ぶ道路であるが、ここから徐々に営業している店を見ることができる。
地下道を抜けて目にするのが双葉厚生病院の跡地。停まっている車は漏れなく廃車だ。
ある程度の片付けは終えているのか中はがらんとしている印象。
看護学校も併設されており、この土地の医療の中核を担っていたのではなかろうか。
向かいには調剤薬局。
隣には老人ホームもあった。
まだまだ綺麗な建物の中庭は雑草が生い茂っていた。
駐車場も見た事のない凹み方をしていて、うっかり停めてしまったら後悔しそうだ。
病院の隣は青年婦人会館。温泉も併設されており、いわゆる地元の銭湯「ジモセン」ってやつだ。
私も一時期「ジモセン」っぽいところへ行くことにハマっていたのだが、建物の雰囲気なんかいかにもって感じで良いんじゃないですかね?
サウナブームの次はジモセンブーム・・・来ないかなぁ。
福祉車両が並んで停められている。
この青年婦人館を含めてこの周囲は福祉エリアだったのだろう。
病院周囲は住宅街。
今も忙しなく除染の作業が進められていた。
この日その時も遠くの住宅から作業員の方が黒い袋をトラックに積み込みをしていた。
きっとこれを執筆した今も、これを読んでいる今でも作業は続けられているのであろう。福島の災害は未だに終わっていない。
タイムカプセルのように溢れ出す2011年までは現役だった物たち。
直近の被災者へのアンケートでは7割近くの人が福島に戻らないと答えている。
ハードとソフトの両面から復興への道筋は未だ不透明なのではないか。
あっ!
周囲も暗くなり、駅へ戻る。
町の現状とは反対に未来の姿をしている駅舎。
注意書きもたっぷりとある。
西口は完全なる更地。完全に封鎖されていた。
これを見た時は絶望したが、団地建設に着手したためと知って少し安心。
放射線量の測定はリアルタイムで分かる。
お隣の浪江駅。
ここまでくれば作業員以外の人ともすれ違うしバスやタクシーも通り町としての暖かさが戻っている。国道から駅までの道のりでスーパーマーケットのイオンも営業していた。
そうは言っても個人店はまだまだ厳しい。
駅前で食事でもしようかと思ったが空いている店は見つからなかった。
浪江駅でも放射線の測定は続いている。
次回その④へ続く。
日付を変えて双葉町をもう少し歩いた様子をお届けしたい。