帰還困難区域の現在④ 福島県双葉町 - 廃屈な日々〜旅と廃墟の回顧録〜
双葉町の前回と前々回はこちらから。
橋に植えられた植物は枯れ果てている。
双葉高校の名前がうっすらと刻印されていた。
土手沿いは崩壊した家屋が目立つ。
季節は巡り双葉町にも11回目の秋が到来していた。
舗装されている歩道もこの有り様。
剥がれ落ちたタイルにピサの斜塔よりも傾いている街灯。
自然災害によるものに加えて逃れることのできない経年劣化の歪み。
タイルの隙間から天を仰ぐ雑草たち。彼らはどこでも力強いな。
ここは様々な店舗の立ち並ぶ商店街だったようだ。
店舗の一部は当時のままだった。
10年も客が来ない店先で陳列されていた商品の気持ちを思うと心が痛い。
そんな気も知らないで目線の先の彼女たちは楽しそうに宙を踊っていた。
こちらはいわゆる町の電気店か。
看板が剥がれ落ちてしまっている。
カレンダーは2011年3月。あの日のまま。
薬局の隣には黒い袋が積まれていた。
これは除染作業で出た土や廃棄物。放射性物質が付着した地表部分の土を削り取ったりした作業でできたものだ。
除染現場にそのまま置かれていることも多く目にした。この状況で故郷へ帰ると選択するのはいささか難しいのではと思ってしまう。
庭の片隅にひっそりと放置されていたスカイライン。もの悲しさMAXだ。
朽ちていく町並み。どこを見ても哀愁が止まらない。
お寺の門もこの状態。
自分以外はみな先生という格言が光る。
この貼り紙を楽しみにここを通った者も少なくないはずだ。
遠くを見るとお寺の再建がはじまっていた。倒壊した光善寺との関係は不明だが、前を向く姿に尊敬の念を送りたい。宗教というのはセンシティブなことで深くは語れないが、復興の拠点となることはお寺のあるべき姿なのだろう。
そういえば停留所にもあったダルマの絵。
気になって調べてみたら江戸時代から巨大なダルマを縄で引く伝統行事があるということだった。
こういう文化すら奪ってしまったのが原発事故の恐ろしさか。
等間隔である獣の糞。
そういえば何年か前に帰還困難区域は野生の動物で溢れていると記事を見た気がする。
私が立ち寄ったのは昼間ということがあって特に目にしなかったな。
例えようのない虚無感に覆われた町。そろそろ探索を終えようか。
今回の探索は帰還困難区域の氷山の一角。あの日のまま朽ちていく町をほんの少ししか見ていないのだが原発事故の脅威を思い知った。
帰れない故郷を持ってしまった者の痛みは計り知れないものがある。歩いていて自分の故郷がこうなったらと繰り返して考えたが、私ごときの想像力では結論に至らなかった。今回歩いた場所は特定復興拠点として除染が終えている。双葉町では全体の96%が帰還困難区域に指定され、復興拠点になったのは10%ということだ。2022年の春から居住開始を見据えているということだが荒廃した町が広がる現状から、まだまだフクシマの東日本大震災は終わっていないのだなと痛感した。これから町が復興に向けて再生されていくことを切に願って遠く離れた土地から見守っていきたい。