温泉街とは切っても離せない文化がある。
それは大人の歓楽街、色街としての側面だ。いわゆる夜のお楽しみ。
粋な芸妓遊びからピンクコンパニオンまで今でも残っている。かつては赤線地帯もあったそうで伊香保は色街としても有名なのである。
最近では2016年にカンボジア人に買春を強要したとして摘発もされている温泉地なのだ。
石段から離れた通りにもお土産屋や遊技場が残る。いかんせん人通りは天と地の差があり、すれ違う人は居なかった。
外国人が喜びそうな芸者の看板。それでいて下の店舗はタイ料理屋だ。
確か買春をしていたのはタイ料理屋ということだったがここなのかな。現在は営業している様子なく最後の灯火も消えてしまったようだ。
このタバコ屋の辺りから飲み屋がチラホラと顔を出す。歓楽街としての伊香保温泉のお出ましだ。
言わずもがな昭和丸出しな店舗がほとんど。
郵便物から察するに営業していない店舗が大半なのではないかな。
ベルバラですよ。ベルバラ。
人の気配のしない路地裏。所狭しとある店舗の数から栄えていた頃の面影を感じ取る。
このスナックレディには幟があり現役な様子。何歳のレディが出迎えてくれるのやら・・・
かすかに残るパチンコの文字。
通り沿いに廃墟化したホテル松屋が残っている。
これがまた曰く付きというのか、日本を騒がせた温泉偽装事件で名前の挙がったホテルのひとつだ。
覚えているだろうか。2004年長野県の白骨温泉を発端として日本全国の温泉地の数々で入浴剤の使用が見つかった事件だ。
伊香保温泉では水道水に入浴剤を混ぜて入湯税を徴収していた模様。白骨温泉では着色のために入浴剤を投下だったからこっちの方が悪質かな。
2012年頃までは営業していた様子だが現在は周囲にグリーンのネットが張られて無残な状態だ。
結構な規模で立地も悪く解体費用はとんでもないことになりそう。権利者はどこかへ消えたのだろうね。
ホテル備えつきのBARは来るはずのない客を待ち続けていた。
松屋のある通りはほとんどが廃墟化していたがスナックえりいとだけは頑張っているのかな。
廃墟ホテルの内部を見える範囲で撮影。良い感じでエイジングされているじゃありませんか!
しあわせですよ。しあわせ。
前回のるんるんといい、えりいとにベルバラにしあわせと伊香保温泉のネーミングセンスが素晴らしい。
しあわせのある路地は飲み屋街であったがここでも現役の店は数少ない様子。
こんな感じでお決まりの催促状が挟まれている店がほとんどだ。
赤線って感じの雰囲気のある場所。
寂しくも趣のある路地が続く。
面白い形の横丁を発見。
亀の甲に近い形で飲み屋が連なっている。
ここもほとんど店舗が営業していない。激渋な雰囲気だ。
一応家主は存在しているかのような生活感は垣間見える。
垣間見えるとはいえかなり放置されていそうな店先の物も少なくない。
横丁を抜けると廃業したホテルの敷地に繋がっている。
廃業といっても店先にはGotoトラベルの貼り紙もあるためコロナウイルスの影響を受けたのだろう。
かすれた歓迎の二文字が物悲しい。永楽街という名前だったのか。その名前に込めた思いとは裏腹に儚い世の中だ。
それにしても飲み屋の数が凄い。供給過多な気がするが最盛期はどんな雰囲気だったのだろうか。
永楽街を抜けると偽装温泉ホテル松屋のある通りに出てきた。
昭和の時代は団体旅行で宴会の後は夜の街へ繰り出すのが世のおじさん達の楽しみだったのだろう。
いまや絶滅危惧種のストリップ。
温泉街の夜を彩るスケベ親父の夢の園。残念ながら廃業されていた。
おしゃれコーナーが気になって仕方がない。
踊れるコーヒースナックの跡地。煌びやかなネオンでもあったのかな。
隣を見れば豪華なホテルが立ち並ぶ。この辺りは時の狭間のように置いてきぼりをくらっている。
街は一旦しゃがむと全く違う景色が並ぶ。
一見すると活気のある温泉街であったが裏では時代に取り残された街並みが広がっていた。
消費文化としてモノからコトへ移った平成の時代。今ではコトからトキなんて言葉を博報堂が使っていたかな。
伊香保温泉はそのシフトに成功したように見えるが裏では割を持ってかれた者達もいるということだ。資本力と集客力のある大手ホテルや石段周辺は栄える一方で、そうではない零細ホテルや小規模旅館、そこに依存してきた歓楽街は廃れるという両極化がこの街では起こっている。おそらくこれは止まらず加速していくだろう。景観の面でいえば廃墟の多くは斜面の密集地と建て壊す費用の捻出というのは鬼怒川温泉などと同じく課題が残るように思える。
石段は夜になるとライトアップされフォトジェニックな需要を満たしてくれる。
若者やファミリー層に人気なのも頷ける風景だ。ここに来るとさっきまでの風景が違う場所のように思えるが、色街としての伊香保温泉は確かにそこに存在していた。