廃屈な日々〜旅と廃墟の回顧録〜

静岡県を中心にちょっと違った旅の記憶と記録。

横浜曙町 親不孝通りに残された赤線跡 

ハマの歓楽街に残る赤線跡

言わずと知れた”大都会”横浜。

神奈川県の県庁所在地であり、関東屈指の繁華街を持つ。

 

横浜の玄関口である関内駅

そこから徒歩圏内で多くの人々が交差する商店街イセザキ・モール。それに並行する形で北に一本の路地がある。

 

昼間でも妖しく光るピンクのネオン。

 

この通り一帯が曙町。通称「親不孝通り」と呼ばれている風俗街だ。

 

名前の由来は放蕩の限りを尽くして親の死に目に会えなかった者がいたからと言われており、地元以外の人から呼ばれる様になったらしい。

 

その歴史は1935年頃に遡る。

近隣の遊郭の影響を受けてカフェー街が形成されていった。そこからGHQ統治下の公娼制度廃止から売春防止法の施行までの期間は赤線地帯として発展していった。現在のヘルスやソープが乱立したのは93年頃となっており、風俗店営業の障壁となる病院が保険金詐欺で営業停止となったことが原因ということ。(横浜市中区の条例では学校や病院などから200m離れていないと営業できなかった)

 

大都市の駅前一等地ということで街の新陳代謝は早い。往時の建物には期待していなかったが、極上の物件が残っていた。

 

それこそがスナックルミ

 

ほんのりピンク色の壁面にタイル張り円柱と古代文明的な造形物の装飾が施されている存在感のある面構え。

 

斜めに取り付けられた扉と二階の意匠。

 

タイル貼りは青と緑の発色が美しい。

こういった典型的なカフェー物件は今や希少価値が高い。

 

古代文明的というのかギリシャ神話の彫刻というのか芸の細かい装飾はお見事の一言。

 

遠目に見てもこの存在感。

東北の震災の頃まで営業していたらしい。

 

関東屈指と言われるだけあり、かなりの風俗店が並んでいる。居抜きで古い店舗をそのまま使う店もあれば真新しい店など混在していた。

 

その中でカメラ片手に歩くのは気が引けるシチュエーション。慣れているとはいえ、”現役”の店先に立つキャッチのお兄さんの視線が痛い。

 

飲み屋の並ぶ横丁。正面には風俗店。

 

カフェー街の残影がひっそりと残る。

 

新旧入り混じった煩悩を刺激する街。

陽が暮れる時間から本当の姿を見せる。招かれざる客である私はここを抜けて本場の家系ラーメンでも食べて帰るとしよう。