廃屈な日々〜旅と廃墟の回顧録〜

静岡県を中心にちょっと違った旅の記憶と記録。

擬洋風 藤村式建築を巡る③ 山梨県

山梨県の過去の姿を思い浮かべる

 

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1日で全ての場所を巡ることはできたものの、日没に間に合わなかったため2日目へ突入。残り2件を紹介していこう。

 

旧室伏学校

 

旧室伏学校は牧丘郷土資料館として使用されているが休館中だ。

ここは道の駅花かげの郷まきおかに併設されているため以前に訪れたことがあった。その時はコロナ禍であったため休館も致し方ないと思っていたが、2023年現在も続いている様子。

 

道の駅から校舎へ続く道。

葡萄みたいな街灯が可愛い。

 

残念ながら休館中。

外観的な特徴は藤村式建築で見られるものが多く取り入れられている。

 

玄関口のファンライトとアーチ状の装飾。

 

窓の装飾は直線的なもの。両開き窓は藤村式建築でよく用いられている。

 

2階のバルコニーと太鼓楼。

バルコニー天井は菱組のすかし天井だ。

 

西洋風の木造円柱と石造りを漆喰塗りで再現した壁面。

 

前回の記事でも少し触れたが、室伏学校は明治8年(1875年)に建てられた学校で同じ年に落成した睦沢学校、津金学校、76年の舂米学校と似た特徴を持つ。wikipedia情報だが、藤村は76年以降、高額となってしまう建築費用の関係もあって小学校の洋風化はしなくなったという記述もあった。

 

後ろにあったトイレはまるで太鼓楼を切り取った様だった。

 

施設概要。

明治9年開校。ふむ、山梨市のHPを見ると明治8年落成、同年10月に「室伏学校」として開校と説明があったのだが、どちらが正確なんでしょうね?

 

それよりもインキ壺のところにホワイトが塗られているのが気になるぞ!

 

高台を登るとこんな景色が広がる。

静岡県民の私にとって富士山は身近なものだけど、それは山梨県民にとっても同じなんよね。仲良くしましょう。

 

次の目的地は甲州市にある塩山という地区。近くのフルーツラインはよく通るのだが市街地には初めて来た。素敵なシャッターのある商店街の近くに藤村式建築の校舎跡が残る。

 

塩山市中央区区民会館

ここが最後の目的地である旧千野学校の校舎跡だ。

 

概要など。

この校舎は他の藤村式建築の校舎でも全くと言っていいほど触れられていないのだが、れっきとした藤村式建築であることが記されている。外観から見てとれる通り意匠を凝らした擬洋風建築でないことが原因だろう。

 

ちなみに藤村式建築登録有形文化財なのはここだけ。

睦沢学校と明治村にある東山梨郡役所は重要文化財、その他は山梨県指定文化財となっている。

 

他の校舎で見られる藤村式建築の特徴も見られない。ここの落成は1879年(明治12年)と先述の通り、予算の関係で洋風化から方針転換してからの建物となる。

 

他の校舎と比べて凝った意匠は見られないが、保存状態の良い木造校舎。随所に趣きは感じられる。概要のあった看板に”移転改築によって建物の外観構造は変化した”との記述もあるが、江戸時代から12年しか経っていないことを考えると随分とハイカラな校舎だと思う。

 

ペンキの塗り直しがいつ頃あったのか分からないが、そこそこ真新しいように見える。当時はどんな色だったのかな。

 

ガラス窓から中を覗いてみる。THE普通の田舎の公民館。私の育った町もこんな感じだったような。

 

ちなみに灰皿設置あり。どこか昭和を感じますな!

 

以上で山梨県に現存する藤村式建築をコンプリート。

藤村記念館のパンフレットでは「明治前期の甲府の姿を伝え続けていきます」とある。明治10年甲府を訪れた駐日英国公使アーネスト・サトウの日記には、「この町の西洋建築を模倣した建築物の数は、町の規模からすれば私の知る限り日本一だ」と綴られていたという。歴史の教科書では学べないことが町の中には溢れている。そんな面影をこれからも求めていきたい。

 

甲州夢小路も初めて見た時は美化しすぎやろーと思っていたが、あながち間違いじゃないかも。誤解してごめんよ。