上の新地と下の新地
高知県の主要観光名所である”はりまや橋”から東へ少し進んだ知寄町。ここはかつて稲荷新地と呼ばれた遊郭のあった場所。上の写真は高知県を代表する高級料亭「得月楼」。かつては「陽暉楼」という名前で前回の記事で訪れた玉水新地にあった。旧地名として上町にあった玉水新地に対して稲荷新地は下町。そこから”上の新地”と”下の新地”とも呼ばれていたらしい。
こちらの稲荷新地は空襲にて焼け野原になったということで往時の姿は残っておらず。
周辺を歩いてみても居酒屋か飲食店がある程度で普通の住宅街といった印象。
どういう意味なんだろうと脳内がバグる注釈。
たぶん屋号は残るけど畳店は閉めましたよということなのだろう。
繁華街から程近いため飲食店以外の店も多かった模様。
アンチック時計修理販売の岩崎時計店。ドンナ止る時計でも修理は心強いぞ。
舞台は隣町である堺町へ。
もともとは商人街で明治維新の頃から遊里へと変貌したらしい。こちらは赤線時代の色街の要素が今も続く街となっている。
業態も様々でソープやヘルスの他に玉水新地のような旅館の形態の店も多い。
この手の店が現在も続いているなんて都市伝説みたいだが現実なんだよなぁ。
大型の複合型店舗からネオンがギラギラする如何にもな店までと懐の広さが伺える。
川沿いには趣たっぷりなビジネス旅館。
実際にビジネスで使われていたかは定かではないが、この通りには同じように”ビジネス旅館”と銘打った看板が並んでいた。
この辺りは朝から忙しなく働く人々の姿が印象的だった。
朝の7時頃というのにゴミ収集や酒屋の配達、おしぼりの業者まで一概に風俗店といっても様々な業種の方々に支えられているのだなと実感した。
桂浜へ続く風光明媚な鏡川。
ホテルは・・・リバーサイド!
現在も続く色街といったが、閉店した店舗も多くあった。
長く放置されていそうなブラウン管のテレビに仮面を付けた女性たち。
雰囲気からして2000年頃だろうか?
現在のように加工が当たり前でなかったからこそ生々しさを感じてしまう。
白い漆喰風の壁面に瓦屋根っぽいファサード、石造り風な腰壁とお城を連想する個性的な店舗。
横から見るとスパッと切り取られた感じ。
こちらも営業はしていない雰囲気。石垣の目地が美しい。
浮世絵のような遊女の看板が目を惹く。
その名もニューゴウルドハウス黄金館。
聞いたことある名前が並んでいる。モザイク越しでもちゃぶ台をひっくり返したくなるレベルだが、何でもありな時代が愛おしく思える。風俗雑誌なんて00年代はその辺に並んでいた記憶がある。風俗雑誌に限らずフリーペーパーも気がついたら廃れていましたねぇ。
ぼちぼち散策を終えて帯屋町の歓楽街へ歩を進めよう。
道中にあったピンク座。
何ちゅうスケべな下着。
午後7時から午前5時という厳つい営業時間の中華店。
声に出して読みたい大衆酒場。
それにしても想像を遥かに超えるバラエティに富んだ街だった。四国は本当に侮れない!