廃屈な日々

廃色の景色を求めて西へ東へ

四万十市中村のスナック街 赤線だった岩崎新地

土佐の小京都の遊郭

天神橋商店街を歩いていた時から感じていたスナック街の気配。

ここ四万十市の旧中村市には赤線があったらしい。

 

いうて土佐の小京都ですからね!

遊郭くらいありましたよ・・・って旧中村市の歴史をちょいと調べてみると室町時代から京都と繋がりがあり、碁盤の目状の街づくりや京都にまつわる地名だったり大文字の送り火といった文化的な名残が今も残る大変由緒正しき小京都だったんすね。

 

今まで小京都と聞いても食傷気味で「ふんっ」としか思わずいたけど、何事も斜に構えていると物事の本質を捉えられないなぁと反省します。

 

詳しくはこちら。

小京都中村の歴史 | 一般社団法人 四万十市観光協会

 

 

それでも私が求めているのはいつだってセピア色の景色。

岩崎新地は戦後すぐに南海地震にて遊郭の類は壊滅し、戦後の復興とともに赤線地帯として復活した歴史を持つ。

 

ある意味では残念なことだが、逆にリアルな昭和ワールドが広い範囲で見られるのは喜ばしいことでもある。

 

見てくださいよ、この向かい合った二軒のスナックなんてまるで双子コーデのようで大変素晴らしいではありませんか。

 

スナックビルを見るのももちろん楽しいけれど、こういう名残を感じる物件に思いを馳せるのも赤線歩きの醍醐味だと思う。

 

ホテル四万十さん。

私の年齢的にはこういうホテルくらい宿泊する余裕が求められているのだろうけど、いつまで経ってもビジネスホテルや車中泊など貧乏旅から抜け出せられないのが悩みの種。だって泊まるだけだぜ、勿体ない!

 

愛くるしい猫ちゃんワンちゃんに混ざってバッファローマン

しかもキン肉マンとの死闘の果てにサタンを裏切った制裁を受けて鉄杭で貫かれたシーン。

 

仕出しの文字を見ると赤線を連想してしまうのは我ながら狂っているなと思う。

 

天神橋商店街を挟んで反対側のエリアへ向かおう。

 

こちらの方が盛り場としての規模も大きく本命の場所。

 

石畳に小京都としての情緒を感じる。

 

憧れのアンダルシアは土佐中村にあり。

 

この辺りは盛り場の外れの方でまだまだ序の口。

 

石畳とスナックの看板が絵になる街並み。

 

扉にカタカナでサヨ。

 

うっすらと残るホワイトキャッスルの文字。さっきの仕出し屋さんと同じ系列か?

 

場末のスナックは個性的な名前の宝庫。

 

鳥居の前にこの日最大のオーラ反応を確認。

 

いい感じじゃないですか。

そんな風に思いながら路地に目を向ける。

 

!?

素晴らしい景色・・・。

矢木に電流走るのエフェクトが脳裏に浮かぶ!

 

落ち着こうか。まずはメインディッシュの前に周囲から攻めよう。

 

ちょうど石畳の切れ端。アスファルトが懐かしい。

 

さっきの路地を見た後ではどうしても物足りない・・・。

 

ネオン管とかいい味出てますけど。

 

それではメインディッシュへ・・・!

 

素晴らしいでございます。

どうしてだろう、昼間の静かな盛り場が琴線に触れまくるのは。

 

これで奥の鳥居が中央に収まっていたら歴代でも最高の場所になっていたかも。構図を工夫すればどうにかなった可能性は否めない・・・。

 

カラフルな色使い。

 

カフェ調の物件が多数あり。赤線の匂いが残る。

 

この看板もセンスあるなー。

 

高知県と言えば皿鉢!

「おまんらは高知の”皿鉢”知らんやろね

 一回高知来て食ってみたらあまりのうまさにひっくり返るで!!」

・・・と名作寿司漫画「将太の寿司全国大会編」で叶崎さんが語っていた。しかし今回の旅程では食べれなかった。

 

以上が四万十市土佐中村の赤線跡。

土佐の小京都は良くも悪くも昔の面影が垣間見える街並みだった。四国はこういう場所が大量にあり本当に飽きない土地だ。