廃屈な日々〜旅と廃墟の回顧録〜

静岡県を中心にちょっと違った旅の記憶と記録。

女体の森 興津宿にある妖艶たる名称の正体

「女体の森」

 

・・・なんとも卑猥な響きか。

そんな妖艶たる名前の場所が私の地元にあったとは。

 

静岡県静岡市清水区興津に女体の森は存在する。

 

興津といえば東海道五十三次のひとつ興津宿で有名な土地。

東海道の花形とも言える駿河湾と富士山が一望できる由比宿の隣だ。

 

街道沿いは当時の面影こそ薄まっているが歩きやすいように整備され、所々で様子が伺える。

 

懐かしい街並みに心躍る。どちらかと言えば昭和の匂いが強い。幼少期に見た気がする風景が残っている感じだ。

 

駐車場から見える奥の建物。只者でないオーラを放つ。

 

旧街道沿いは歴史や信仰の面影が残っている。

身延道入り口となるこの細い道路がかつては身延山久遠寺に繋がっていたようだ。

 

ちゃっかり日本の真ん中を主張している。それは静岡県民のほとんどが知らないことだろう。

 

さて、そろそろ女体の森が見えてくるはずだが・・・。

 

あった・・・!

一字一句違いなく女体の森だ。

 

「女体の森 宗像神社」

なんと、女体の森の正体は神社であった。

 

参道を征く。

神社は小学校に隣接している。

宗像神社へ到着。

なるほど、確かに緑が多い環境だ。

 

鳥居の横に神社の成り立ちを説明する看板がある。

 

”当社は興津川の西にあり女体の森と言って船人たちの灯台がわりとされていた”

 

・・・ということらしい。スケベな要素はなさそうね。

肝心な何故女体の森と呼ばれたのか明言されていないが、祭神である奥津島姫命や宗像弁財天など女性の神様が祀ってあることが女体であることの由縁か。興津という地名もこの神様からとは知らなかった。

 

”昔の神社は東海道沿いにあったと思われ”

かつては今よりも広大な敷地で現在の場所よりも街道沿いに近い所にあったらしいと記述がある。詳しい記録は火事にて消失しているということで憶測になっているものの、現在地よりも海に近く広い土地であったということから文字通りの森に見えたのだろう。

 

それでは境内へ進む。

緑が多い環境であるが通路に落ち葉がほとんど無い。非常に良く管理されている神社だ。

 

静寂という言葉が似合う場所。立派な拝殿がある。立ち止まっていると蝉時雨が聞こえて風流ですなー。

 

狛犬、灯籠、手水鉢。

 

使われなくなった(壊れた?)石材も片隅に積まれている。

 

神社の裏側はまさに森という形で木々が生い茂っている。松の木が多く海沿いらしい景観だ。中央に見にくいけど祠があるね。

 

こっちには弁財天の祠。

 

神社の裏にはJR東海道本線が走る。かつては東海道沿い、現在は国道1号と鉄道線に挟まれる形になっている。今も昔も交通の要に沿っているのは変わらない。

 

それに加えて横を走るのは国道52号線山梨県静岡市を繋ぐ大動脈だ。つまりは三方を交通の要に囲まれているということになる。これは奇跡の場所と言っても過言でない・・・かも知れない。

 

社務所の後ろに伸びる1本の立派な木。

 

樹齢450年以上のご神木。

 

現在でも海上から見えるのかな。

 

”その頃は、海辺はもっと広々としてクロマツの葉が潮風にゆれていたのかも知れません・・・”

 

ここから始まる文章に今回、私が感じた楽しみが凝縮されている。

 

現在では東海道沿いには2階建て以上の家屋や商店が並び、そこより海に近い場所は国道1号線のバイパスが通っている。木々の多くは海上から見えないのかもしれないが、かつてあった姿を想像して思いを馳せる。何気ない場所でも背景が見えてくるとぐっと引き込まれるものがある。こういうのが旅の面白さの本質でもあるのかなと思う。そういう意味ではこの場所は非常に分かりやすいと言える。現在の感覚では「女体の森」と名前こそ卑猥な響きであるが素敵な出会いになった。

 

少し離れた興津宿公園にも宗像神社の記載あり。

女体の森は由緒正しき神社のとっても素敵な異名でございました。