魅惑の廃ホテルでバブルの幻想を見た。
バブル時代の廃墟は独特の哀愁が漂っている。
昭和と平成の狭間の強烈な時代の残り香のせいなのか。
今回の訪問は2020年12月。
バブル時代を知らない私がそれを絵に描いたような物件だった。
ホテルのオープンは1985年。
元プロ野球選手の江夏豊選手が清里高原の新名所としてプロデュース。彼が趣味で集めたアメリカンクラシックカーのキャデラックの展示がホテルの目玉という何ともバブリーなエピソードが残っている。もちろん例に漏れずバブルの崩壊とともに客足は遠のき、96年に廃業。営業は11年と短命な結果だった様子。
そして、99年。廃業後の競売で落札されたのだが、それがオウム真理教の関係者と判明。地元住民や観光業者の反対もあり、落札が阻止されたまま現在に至る過程だ。
いやはや。こうして考えると何という激動の時代を乗り越えてきたのか。ここまで時代に翻弄された物件も珍しい。
それではさっそく物件へ。
草木に覆われているということだが訪問が冬だと藪漕ぎしなくて済むのは助ける。
奥に見えるパルテノン神殿みたいな柱が前面にある豪勢な洋館が目的地だ。なんでもハーバード大学を模して作られたそうな。
外観はパッと見そこまでの劣化も見られず、良好なまま20年が経過したみたいだ。
ただレンガ調の塗装は光沢があり、近くで見ると少し安っぽい。
それにしても山の天気は変わりやすい。外観を撮影していたらあっという間に雲が広がってきた。
すでに見えている入り口からの光景に気分が高揚していくのが分かる。
一面に敷かれた赤い絨毯がゴージャスな印象を与えてくれる。
奥に小さく見えるのは万国旗で営業当時は掲げられていたのか。往年の姿に思いを馳せる。海外っぽいから万国旗というのは少し庶民的な発想で微笑ましい。
このカーブした階段がお洒落でかっこいい!
受付では看板犬がもう来ぬ客人を待ち続けている。
日報や料金メニューはそのままに瓶のジンジャーエールも未開封だ。
それにしても写真映えするエントランスだこと。
もっと撮影をしたい気持ちを抑えて探索を優先する。
まずはレストランの跡地。手書きのメニューが庶民的で懐かしさを覚える。当時の水準ではどの程度の価格帯だったのか。現代の観光地でこの値段なら良心的だ。
厨房を通り抜けて地下へ。
窓から漏れる日差しが美しい。廃墟探索をしていると時々このような光景に出くわすが写真で表現しきれないのが本当に悔しい。実物はもっと凄かったのに。エントランスでは少なかったオウム真理教関係の落書きも散見している。
パンフレットを発見。
言葉を失うくらいのゴージャス&バブリー。かっこいい横文字が並び、シティビューティーというパワーワードが目を引く。高級フレンチを食べて夜通しディスコで盛り上がるという楽しみかたを提案している。シティビューティー達も数日の観光くらいは都会を忘れて自然を満喫する方を選ぶんじゃないのかな。私ならせっかく清里高原まで来るのだから夜はディスコで踊るより星空でも眺めていたいよ。
この地下空間は不思議な魅力で溢れている。バブル絶頂期、ここに集まっていた若者たちはその光景を今でも覚えているのだろうか。
地下から伸びる階段。ここでも赤い絨毯は外せない。
現役時代は地下のライトと相まってさぞ艶やかだったのだろう。
階段を登った中腹にCAFE BARを発見。 SEVILLE(セビル)とキャデラックの名前が冠されている。ドアをくぐると突然の白黒空間。モノトーンで統一されており非常にスタイリッシュなBARだ。入り口には第16サティアンと落書きがある。まるで秘密基地のようだ。
第16サティアンの奥地。天窓となっている様子で神々しい雰囲気が地下に続いて味わえる。
思わず近くにあった脚立を立ててしまった。
いい大人がキャッキャしながら脚立を立てて写真を撮る。まさかこんなことしているとは10年前の私が見たら何を思うのだろうか・・・。
階段へ戻り上へ進む。ここから宿泊エリアだ。
なかなかの狂気を感じる貼り紙と落書き。
破れたガラスからは自然の侵食が進んでいる。
さて、お部屋へ行ってみようか。
ピンクのお部屋。
部屋の構成は寝室とユニットバスのみ。
高原のリゾートホテルと自称しているがこれはお粗末すぎる
。
違うタイプ部屋もあるが広さは大差がない。これでもバブル崩壊まではキャンセル待ちが出るくらいの人気だったというのだから驚きだ。バブルの恩恵を受けた人々は湯水のようにお金を使っていたのだろう。
宿泊エリアのある二階から見た景色。うむ、絶景かな。
二階にはビリヤード場もあった様子。隣には唐突な白黒空間が現れる。CAFE BARと同じようなモノトーン調の部屋が併設されており、プールバーのような形だったのではないだろうか。
以上で探索を終了。
外はうっすらと雪が降っている。清里高原は冬シーズン真っ只中だ。
遠くには美しい山々が広がっている。自分の知らない帰っては来ないであろう時代に思いを馳せて車へと向かって行く。
感想
バブル経済に沸いた時代は短いが強烈だ。強烈だからこそ廃墟になった今は儚さだけが残る。当時はナウなヤング達でフィーバーしていたホテルで設備が撤去されていてもその時の雰囲気を味わえた。見た目の派手さは健在なもののどこかチープでハリボテ感が拭えない部分に哀愁を覚える。こういう見た目の派手さだけを追求したものはバブル崩壊とともに人が散っていったのだろう。パンフレットから見えるコンセプトも現代の感覚では理解に苦しむ部分ばかりだ。そして宿泊部屋は格安ホテル並の設備しかないのはリゾートホテルとしては致命的に思える。その辺り含めてバブルの遺構として非常に楽しめた物件だ。