廃屈な日々〜旅と廃墟の回顧録〜

静岡県を中心にちょっと違った旅の記憶と記録。

2020年の稲取隔離病棟

(訪問日時 2020年 冬)

 

 稲取隔離病棟。

かつて死の病として恐れられていた結核に患った者を隔離し治療していた施設。

結核とは、最盛期には日本全国で年間十数万人の死者を出した感染症。戦後は結核予防法と単独法が制定され、2006年に感染症法に統合されるまで残っていた。平成生まれの私世代にとっては身近な病ではなく、昔話の病気というイメージが強い。

 

この施設は1958年と戦後に開業され、1982年に廃業を迎えている。

 

場所としては東伊豆の国道道路沿いに存在しているが住宅街とは程遠く、建設当時は国道も開通しておらず、僻地に建てられた隔離病舎であったことが想像できる。かつては誤った知識や偏見などで差別が生まれていたという歴史がある。これは2020年にもコロナウイルス感染症にて同じような差別や偏見があり、歴史は繰り返すというのか人間という生き物の本質は変わらないものだなと染み染みと感じてしまうものだ。

 

さて、そんな歴史のあるこの物件。2020年にはどうなっているのか見てみよう。

 

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国道にある友路トンネル近く、あまり有名ではない景勝地はさみ石へ向かう脇道を目指す。

 

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脇道へ降りてすぐの場所、竹藪に覆われた中に建物を発見。ここが目的地となる稲取隔離病棟だ。

 

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・・・。

ご覧の通りにすでに崩壊してしまっている部分が大半だ。とりあえず行ける範囲を探索してみる。

 

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内部も崩壊具合が凄まじい。

壁は剥がれ、床は抜け、危険がいっぱいだ。

 

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病棟であった面影は見られず。そもそも残留物が少ない。

小使って何だろうと調べたら雑用などの小間使いの総称だったらしい。

 

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自然との融合が凄い。完全に倒壊するまでは時間の問題のようだ。

 

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倒壊しすぎて何が何だったのか分からない箇所が多い。

地面の傾斜と相まって写真で見ると水平感覚がわからなくなる。

 

この辺りで探索を切り上げようか考えるが、ふと疑問が生じる。

今見える部分はせいぜい住宅2件分。病棟にしては狭すぎるということだ。

ここの俗称は稲取隔離病棟。病棟なのだ。ここが診療所なら納得がいくのだが、本当にれだけの規模なら病棟などと呼ばれないはずだ。

 

探索を続ける。

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この倒壊した場所へ。

 

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水道が残され、かつてはここも建物の内部であったことが分かる。そして、この赤い屋根の建物であるが細長い廊下のようにも見える。木造校舎でもよく見られる渡り廊下に似ている。ちょうど最初に探索した建物と小高いこの場所を繋ぐような形となっているが果たして?

 

周囲をよく観察する。

 

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思った通り、そこら中に建物の成れの果てとなった形跡が見受けられた。

残存する屋根なども緑に覆われる形となっていたが、それが崩れ森と同化している様子だ。

 

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私が最初に立ち入った場所はこの病棟の氷山の一角といったところで、現役当時はそれなりに広大な建物だったのだろう。今では見る影がない。おそらく病棟としての入院設備があったのが倒壊したこの場所であって、2020年の入り口のほんのわずかな部分を残して自然に帰ってしまっていたと結論付けられる。

 

2021年となった現在はどうなっているのだろうか。

 

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帰り際にはさみ石を写真に収める。

近くにベンチがあったが酒の空き缶とタバコの吸殻が捨ててあり強烈な場末感が漂っていた。

 

 

感想

戦前戦後のフィクションでしか知らない結核隔離病棟。悲劇的な話と対照的に昭和レトロな美しい木造病院が描写されるもの。そんな病院を見てみたい気持ちもあり、期待して行ったのだが残念ながらほぼ倒壊していた。以前のS診療所でも思ったが、廃墟というと時が止まった空間のようにも思えてしまうが、時間は等しくどんなモノに対しても流れている。朽ちるモノや朽ちてしまったモノ、廃墟にも様々な形があり、今その瞬間でしか出会えない。これは廃墟関係なく、日常生活でも同じことだ。私が通り過ぎていった景色たちはどうなっているのだろう。廃墟を通して思いに耽る。そんな時間があってもいいものだ。