廃屈な日々〜旅と廃墟の回顧録〜

静岡県を中心にちょっと違った旅の記憶と記録。

三ヶ根山スカイライン 廃墟と墓のデスロード①

三ヶ根山スカイライン

愛知県蒲郡市から西尾市に至る標高326m、全長5.1kmの有料ドライブウェイ。

紫陽花と三河湾を望む景観が自慢の場所であるのだが、その荒廃っぷりが酷いとその筋の界隈では有名な場所だ。廃墟と墓と廃墟と廃墟といった状態でいつしかデスロードという愛称で呼ばれるようになっている。蒲郡という日本でも屈指の珍スポ地帯にあるスカイライン。ただの景観の良い道路で終わるはずがない。

 

蒲郡市側から有人の料金所で普通車料金420円を払って入場する。

ちなみに自動車専用道路となるため125cc以下の二輪車では入ることはできない。

 

三ヶ根山スカイラインは1960年に観光開発を目的に整備され1968年に開通とある。おそらく全国にあるスカイライン同様に昭和30年代からのマイカー普及と観光ブームを受けて整備したのだろう。山の上ということもあって景観に満足できる道路だ。

 

廃墟その① 三ヶ根山ロープウェイ頂上駅跡

蒲郡市側から車を走って程なくすると「ゆうとぴあ三ヶ根」というスカイライン唯一の飲食店がある。

 

その手前の道路に整備されていない空き地がある。

ここは三ヶ根山ロープウェイ山頂駅の跡地につながっている。

 

その奥にある登山道を進む。

時期が夏だとご覧のありさまで生い茂った草木で進むのが大変だ。

 

脇道や足元を見ると看板が残っている。夏場は登山道自体あまり整備されていない印象だ。夏場の低山登山は暑さと雑草と虫で本当に辛い。

 

緑の茂った登山道を進むと遺跡のように鎮座しているコンクリート。ここが三ヶ根山ロープウェイ山頂駅。

 

コンクリートの基礎だけしか残っていないが形は紛れもなくロープウェイのものだ。

 

ちょっと伸びすぎた木々が邪魔をしているけれど蒲郡市街と豊橋方面が見渡せる。登山道含めて草木の枯れる冬に行くのが良い場所かもしれない。

 

階段部分も残っている。まるで遺跡に来た気分。

三ヶ根山ロープウェイは麓の形原温泉と結ぶ形で1957年に完成。スカイラインよりも早く作られた施設なのだが、スカイライン開通で客足を奪われて1976年に廃止となっている。

 

廃墟その② パールセンター(観音茶屋)

唯一の現役店舗「ゆうとぴあ三ヶ根」からすぐの場所にパールセンターと書かれた看板があり、廃墟化した店舗が残っている。

 

NHKテレビ ”日本まんなか紀行”で紹介された・・・

何というのか時代を感じさせられる看板。テレビに取り上げられたことが嬉しかったのか、それだけで宣伝になるとされていた時代だったのか、何にせよ私は好きな看板だ。

 

観音茶屋という店舗跡。外観は刃牙の家みたいに落書きされ、荒廃している。

 

ガラス窓は割られている。

 

中も破壊の限りを尽くされて終末の世を見ている気分になる。

 

VHS!
どうしても呪いのビデオ、リングを彷彿としてしまう。2019年版を最後に音沙汰ないが新作そろそろ来ないかな。

 

眺めは一級品。

 

平屋だが地下にも空間があった。

 

周囲には自然と一体となった看板が多く放置されている。

 

接待所の看板。

隣には三河三十三観音霊場のひとつ三ヶ根観音がある。

 

三ヶ根山スカイラインには戦争慰霊碑が数多くあり、茶屋の店先にも関係団体の名前が並ぶ。

 

パールセンターというくらいなのだから三河湾産の真珠でも売ってたのかな。

 

ちょっと離れた道路脇にはこんな看板もあったけど手広くやっていたのだろうね。

 

さて、山頂へやってきた。

 

三河湾を挟んで渥美半島まで一望できる眺めだ。

 

私が行った時期には枯れていたが、季節が良ければ紫陽花と三河湾の共演が見れる。

 

ここから三ヶ根観音へ進む。

 

平成観光地あるある。とりあえず眺めの良い場所を恋人の聖地的なものにしがち。

 

ここの道路には戦争慰霊碑が立ち並んでいる。

この近衛歩兵第一聯隊之碑は皇居正門を模した作りになっている。

 

皇居って鯱鉾があるんだ・・・。知らなかった!

 

とにかく墓・墓・墓と続く道。

三河地区には戦争慰霊碑や遺構が数多くあるがここまでまとまっている場所は珍しい。

 

2022年現在でも戦争の火種は続いている。平和への祈りに国境は関係ない。

 

!?

 

唐突に現れるカーペンターズの慰霊碑。なぜか生首。

 

ここがさっきの看板にあった恋恋ストリートの終着点。

生首観音とそそり立つ鯉という一般的な恋人の聖地とはかけ離れた見た目。さすが蒲郡といったところか。恐れ入った!

 

次回へ続く・・・。