廃屈な日々〜旅と廃墟の回顧録〜

静岡県を中心にちょっと違った旅の記憶と記録。

新世界乾杯通り 富士吉田の赤線だった路地裏飲食店街

消えゆく昭和の街並みを探して早何年か。

そのまま消えていってしまったものもあれば蘇ったものも少なくない。

 

富士吉田の月江寺にある新世界乾杯通りも「昭和レトロな街並みを残す」という思いから2015年に再開発プロジェクトが発足され、2016年にそれまでの「新世界通り」を改名。かつてのように「乾杯」という声が聞こえてくるよう願いを込めて「新世界乾杯通り」と名づけた経緯を持った飲食店街である。

 

西裏通り

本町商店街


新世界乾杯通りは西裏通りから本町商店街を結ぶ短い距離の路地なのだが、全盛期はこの狭い場所に20軒の店舗があったということ。中は細い路地が枝分かれして飲食店街が形成されている。看板から察するに現在は半数の10店舗となっている模様だ。

 

ふたつの商店街から分かるように富士吉田の月江寺周辺は町全体が昭和で止まっているような状態にある。

 

入り口のアーチをくぐると現れるのは3階建ての妓楼風建築。

 

正面は寿司屋の看板が出ているが・・・。

なんにせよ只者ではないオーラを放っている。

タイトルでも触れているがこの辺りはかつての赤線地帯。いわゆる性的接待を伴う特殊飲食店が並んでいた場所だ。

 

戦後すぐに北富士演習場に駐在した米軍相手に商売を行っていた歴史を持つ。昭和40年に火災があり、その後は通常の飲食店街に変貌したということ。

 

メインとなる太い通りにはリノベーションされた小綺麗な店舗が並ぶ。

 

枝分かれした路地はかなり狭い。そこにあった店舗は漏れなく放置され廃墟化している状態だ。

 

苔が蒸した地面に産業の残骸が残っている。

それにしてもさっきから店舗名が「愛人」に「セクシー」と捻りのなさが実に昭和らしい。

 

リノベーションした側は味わい深い店舗はそのままに現代的なエッセンスが融合されたレトロさが魅力だ。店舗の外壁に残されたタイルの装飾は一見の価値あり。

 

こんな感じにオシャレなトイレまで用意されている。

2015年のプロジェクト発足以前は営業している店舗はわずか1軒だったというのだから見事に蘇ったといっていいだろう。

 

とある店舗に飾られた1枚の写真。

エドワード・ファーロングに見えて仕方がないのだが気のせいだよね?

2019年に来た時にはすでに飾られていた気がする。外国人観光者についていえば富士吉田は10年代中盤からコロナ禍前までインバウンド特需の恩恵をモロに受けていた町でもある。それだけ富士山のお膝元であることは外国人にとって魅力なのだろう。主にアジア圏からの観光者で忍野八海とか常に激混みでしたよ。

 

トイレから先に営業している店舗は見受けられないが本町商店街までクネクネと路地が続いている。この先に新世界通りのランドマークとも呼べる建物が残っている。

 

フォーエバーの意味の如く鎮座し続ける廃墟ビル。退廃的で耽美な魅力すら感じる外観だ。

 

いつから存在しているのか?

看板に「SAUNA」とあるが・・・どう見ても風俗店ですよね、これ。

 

入り口はシャッターで固く閉ざされ中を見ることはできない。

 

本町商店街から入るとまず目にするのがこの看板だったりする。

新世界通りから乾杯通りへ時代が変わっても変わらないものもあるということか。

 

このサウナ店以降は特に何もなく本町商店街へ続いている。

この新世界乾杯通りは富士吉田の月江寺界隈にある激渋飲食店街のほんの一部でしかないことをお伝えしておこう。

 

富士吉田の月江寺という町は昭和で時が止まっているような町だ。

それもただ単に古い街並みが残るだけでなく、あらゆる路地に夜の店ともいうべき店舗がひしめき合っている。

 

西洋風の城みたいなカフェ建築。怪しさ満点。

 

これだけ昭和の盛場が当時の区画内にそのまま残っている場所というのも珍しい。

富士急ハイランドにでも出掛けるついでに昭和の終末観光もどうだろうか。吉田のうどんも美味しいよ。